八ヶ岳冬合宿記録: 
 赤岳主稜/硫黄岳〜赤岳縦走/南沢小滝アイストレ


2004年 1月9(金)〜12(月)


メンバー:
先発隊:MH、Y住、Y内
本隊:S木、T橋、N脇、T越、TJ
後発隊:A藤、N川、S子

行動概要:
1/ 9(金)
先発隊8時発=14時美濃戸、赤岳山荘泊
1/10(土)朝のうち晴れ、昼前から曇り、雪、風
本隊発=美濃戸ー行者小屋・設営
先発隊 赤岳山荘ー赤岳鉱泉経由ー行者小屋・設営
後発隊7時栃木IC発=11時美濃戸口、11時半発ー14:50行者小屋・設営
1/11(日)晴れ、強風
4時起床
バリエーション班(LA藤、T橋、N脇):6:35発ー7:30赤岳主
稜とりつき〜8:20まで順番待ち、1ピッチ目で先行パーティーのトラブル処理に
協力ー11:20赤岳山頂ー地蔵尾根分岐部で縦走隊と合流ー12:20行者小屋
縦走班(CLS木、SLMH、SLTJ、Y住、Y内、T越、N川、S子):6:50発
ー硫黄岳ー硫黄岳山荘ーMH、Y住、Y内往路を戻る、N川、TJー横岳縦走後地蔵尾根下
降、S木、T越、S子ー赤岳〜地蔵尾根〜行者小屋、S子下山
1/12(月)晴れ
3時半起床、撤収、6:40発ー南沢小滝でアイスクライミング練習(TR)ー10
時過ぎに美濃戸ー美濃戸口=樅の湯


記録(A藤):
●1/10 入山
 私はこの1週間仕事がハードで疲労が溜まっていたので後発隊として入山することにした。栃木インターでN川さん、S子さんと待ち合わせ7時発。順調に美濃戸口に到着し、ここから歩く。先発隊が美濃戸まで車で入ったのは知っていたが、本隊のT橋号も見あたらない!雪が少なく、美濃戸までの一般車の通行が禁止になっていないようだ。しかし後発隊は、誘惑に負けず(というか高い駐車場代を払いたくないので)清く正しく美濃戸口から歩くことにする。
 予定どおり3時に行者小屋につくと時間通りだったせいか、TJさんが小屋前で待っていてくれて、宇労山チームのテントへと案内してくれる。先発隊が昨日入山ではなく、美濃戸一泊したのは知っていたが、美濃発の時間もなんと本隊より遅く、しかも何故か赤岳鉱泉経由できたため、行者小屋着は本隊より更に遅れたようだ。先発隊で入ったY内さんを「宇都宮から行者小屋まで二日がかりの大旅行だったね」と冷やかす。本隊も折角大枚をはたいて?美濃戸まで車で入ったのに深夜発の睡眠不足でおつかれのうえ、先発組の到着遅れも重なり、この日の行動はBC設置だけだったとのこと。後発隊が美濃戸への道々「もしかして・・・」予想していたとおりの展開である。ただし、T村さんが風邪で不参加、MHさんは凍傷で指が以前のようには使えないので、初心者や未経験者だけで混雑するだろうジョウゴ沢にアイスの練習に行くのはひかえたほうがよいと思っていたから、安全面ではこれは正しい選択であったと思う。
 テントは3張りに9人、Y内、A藤はそれぞれ個人テントとばらばらになり、それぞれで夕食をとる。明日は4時起床、6時半発ということにし、縦走班は、硫黄岳から可能なら横岳を縦走〜さらに余裕があれば赤岳まで、バリ班は強風降雪など条件悪ければジョウゴ沢のアイスに変更し、赤岳主稜は月曜に延期、と打ち合わせて早めに就寝。


●1/11 赤岳主稜(写真、N脇:中央ピークへ登りあげる岩稜)
 4時に起床すると月は暈を被ってはいたが空は晴れ、山鳴りもきこえないので、予定どおり決行とする。バリ班は当初2人x2パーティーの予定だったが、唯一のルート経験者、T村さんが風邪で不参加となり、ルート未経験者のみの3人パーティーである。私としても那須の朝日東南稜以外は冬壁登攀の経験がなく、まあ実質これがデビュー戦なのでリーダーとしてきわめて心許ないが、数ヶ月間ルートの情報を収集し、またメンバー全員、マルチピッチの練習や古賀志でのアイゼントレなどを行っているので、最難ピッチIV級までは大丈夫と踏んでの決行である。
 6:35行者小屋発のころには、登攀装備のパーティーが文三郎道方向へ6隊ほど先行しており、これは主稜は大渋滞かなと、いささかあせって取り付きに向かうと、なんと4人組の先行パーティーがいるのみで、我々は2番手のようだ。風が強いので、私は谷川中央稜や小川山セレクションでの経験から、コール無しで、ロープの操作でビレー解除の合図をすることを打ち合わせる(このうち合わせをやっておいてホントによかった)。
   少し待つうちに先行パーティーが登り始める。チョックストーンからルンゼを登った後、バンドを右上する前にランニングも取らずに登っていってしまう。ユマールで登る後続のこと人ごとながら心配だ。バンドに入ると姿は見えなくなり以後の動きはわからないがしばらくしてロープの動きが止まる。しかし、ルートの屈曲と強風のせいだろう、トップとフォローの間のコールがかき消されて、動きが取れず立ち往生。2番手はチョックストーンを越えてルンゼの右側のバンド状のところでストップ。私が下から見ると、2番手の上のロープが引っ張られており、トップはロープを引き上げようとしているようだ。もしトップが今ロープアップの段階だとすると、2番手の墜落に対して確保できないはずなので(ビレー状態でロープアップするということもありうるが、確認のしようがない)このまま登り続けるのは危険である。それにそもそもトップが終了点に着いて、セルフビレーを取っているのかどうかも確かではない。
 2番手が今いる場所は2本足で安定して立っていられる足場があるようなので、ユマールを外してロープアップできる状態にした方が良いと思い、そう助言する。しかしユマールをはずしても、ロープはほんのちょっと上がっただけであとは動かない。多分トップは、下で何が行われているのかわからず、これまたパニックなのだろう。上からの声が時々きこえ、「ビレー解除」と言っているのだけはようやくわかるが、下からの「解除した〜」声は全く届いていないようであり、「登っていい〜?」と怒鳴っても、「ビレー解除!」を繰り返すのみ。しかもその後いくら待ってもロープは上がってゆかない。
 こうやって早朝の強風の中で数十分が経過。いや寒いこと寒いこと。私達2番目パーティに続き、後には6人パーティー、3人パーティなど続々と行列が出来ている。見るに見かねて、というより寒さに耐えかねて、私が「伝令」役を買って出る。チョックストーンは上から越えてみたかったが、うしろで「二十四の瞳」ならぬ10数人が見守っているので下手なことは出来ないと、慎重に行くことにする。岩をくぐってルンゼになるが、登りやすい右側の壁には先行パーティーの2番手が張り付いているので使えない。やむを得ず2つ目のチョックストーンもどきを抱きかかえるようにしてアイゼンキョン足で体を上げピッケルをチョックストーン上の雪混じりのザレに打ち込んで乗越し、ほっと安心してルンゼを直登。ここまでランニングも取れず、このピッチがこの日の一番の核心となってしまった。ルンゼ抜け口のピナクルに最初の支点を取ってバンドを右上。1ピッチ目終了点下まで登って、岩角でセルフビレーをとり、下をのぞき込んで、確保しているN脇さんにビレー解除を伝える。
 ここで2mほど上の終了点にいる先行パーティートップに状況を伝えて、ようやく先行パーティーはロープアップを完了する。しかし相変わらずトップととりつきの間で声は通らないので、私が引き続き伝令役となり、ロープアップ完了を確認し、岩に張り付いていた2番手に登ってきてもらう。だが先ほど書いたように、トップはトラバース部分でランニングを取らないで登っており、2番手はルンゼをのぼらず、ロープに導かれるまま右手の岩壁を苦労して登り出したようだ。下からは3番手がもう登ってくる。こちらはロープの流れと関係なくルンゼを登ってきたがルンゼの抜け口まで来て、自分を確保しているはずのロープは大きく右手に逸れており、墜落すれば振り子状に落ちるということがわかったのか、終了点にいるトップに助けを求める。しかし声は通らないし、それにどうやったってトップが中間支点をかけ直す訳には行くまい。私は3番手に待つよう指示し、とにかく2番手に先に登って貰い、2番手は無事終了点に到着。3番手のロープはルンゼ右壁の岩に引っかかっており直せない。しかたなく私のパーティーの2,3番手(N脇さん、T橋さん)を先にあげ、登ってくる途中で、T橋さんに頼んで3番手のロープをトラバース時に安心なようにピナクルにかけ直してもらう。そしてT橋さん、N脇さんが私のいる場所に上がってきてセルフビレーを取った後に、先行の3番手に登って貰う。そうこうしているうちに何と3番目のパーティーの先頭が登って来るではないか!彼らも相当待たされて、せっぱ詰まっていたのだろうか。しかしこれでは1ピッチ目の終了点辺りに7人以上がひしめき、ロープがらみなど心配なので、私のいるところの更に下の岩角でビレーを取って待機するよう指示する。
 こんな調子だと各ピッチで1時間ずつ待たされて途中で日没か、凍死か、良くても凍傷になりそうなので、黙って強い視線を先行パーティーに送って、先にいかせてちょ、という意志を伝える。強いテレパシーは強風と低温にもめげずに無事先行パーティーに通じたようで、「終了点が二つあるから1つ使って先に行ってください」とありがたい申し出があったが、いま我々のいる場所からでも行けそうなので、T橋さんに2ピッチ目をリードして貰う。
 「ルートどうなってるの?」とT橋さんからごもっともな質問だが、私だって初めてなので「わからないけど垂直の凹角を登って、あとは適当に登れるところを行けばいいんじゃない?」といい加減な返答。2ピッチ目は出だしの垂壁が難しいので、凹角左のフェースを巻く、と書いてあったので「難しかったら左巻いて」とアドバイス。しばらくしてロープの動きが止まり、片方のロープだけが5mほど引き上げられる。これがビレー解除の合図である。念のため大声で「ビレー解除!」と怒鳴ると声が届いたようで、以後コールも交えてA藤、N脇も登る。出だしは垂直だがホールドもあり、セカンドの気楽さもあり手袋とアイゼンでも巻くことなく登れる。ここを越えると傾斜が緩み、少し上でT橋さんが座ってビレーしている。エイト環なのでかなりやりにくそうだ(N脇、A藤はルベルソ)。
 3ピッチ目はT橋さんがそのまま確保役で、岩と雪間じりの緩い稜線をN脇さんリードで進む。その間に3番目のパーティーのトップが登ってきて、我々のすぐ下でビレーを取る。最初のパーティーは1ピッチ目から撤退を相談していたようなので3番パーティが上がってきたのだろうか?そのトップは「ビレー解除!」と下にコールを送った後、ルベルソを取り出しセカンドの確保体勢に入るのかと思ったら、私の方を向いて「すみません、ルベルソはどうやってつかうんでしたっけ?」と、なんとも率直な質問。おいおい、6人パーティーの一番手がどうなっちゃってんの?ビックリしたが手元のロープで操作法を説明する。  
 我々はN脇さんが2つ中間支点を取ったことを確認して、A藤、T橋もコンテで続き、N脇さんには4ピッチ目の出だしと思われる岩稜の取り付き地点まで進んで貰う。4ピッチ目は簡単な岩稜を直登するルートと、右ルンゼを巻いてから稜線に戻るルートがありそうだが、とくに難しくないので直登でA藤リード。5mほど直登して残置ハーケンに支点を取ると以後は傾斜が緩みほぼ歩いて行ける。途中ペツルのボルトで作った終了点があったが、まだロープを伸ばせそうなので、推定40mあたりで岩角で終了点を取る。ここでもロープの合図をつかってコール無しで意思伝達を行い、T橋、N脇同時に上がってくる。
 そのままT橋さんが5ピッチ目をリード。引き続き緩い雪と岩混じりの斜面で左手側は所謂「上部岩壁」であるが、我々の行くルート自体は一般道といってもおかしくない程度の傾斜。ぎりぎりロープ一杯で次の終了点に届くかと思ったら数mほどたりなくなり、中間支点があるので後続二人もコンテで続く。この辺りで後続パーティーはまだ3ピッチ目に入るか入らないかといったところで遅れているようだ。一番最後のパーティーはまだ登り始めていないのではないだろうか?右ルンゼを挟んで右隣の南峰リッジにも1パーティが取り付いている。
 6ピッチ目、ルート中の核心ピッチと言われている部分は、私が我が儘を通してもらいリードをやらせていただく。このピッチはルート解説や過去の記録を読んでもどうもよくわからなかったところである。5ピッチ目終了点からすぐ90度右に回り込んでから垂直に3mほどのぼり、ここから右上に5mほど進む。そこから岩壁直登と思ったが見渡すと少し右方にトラバースした辺りの凹角のほうが良さそうだ。確かにトラバースしたアイゼンの跡もあり、行ってみると残置もある。凹角は垂直だが、途中右手にペツルのボルトが打たれているのでここを登ることにする。しかしいざ行こうとすると屈曲が多いルート取りのためもあり、ロープの流れがすこぶる悪く、一歩毎にぐいぐいロープを引き寄せなくてはならない。おまけに今まで右へ右へと登ってきたのにペツルのボルトは凹角右側につけられているのでヌンチャクへのクリップの時に体に引っかかってしまい苦労する。結局背中越しにロープを回してセット。さていよいよ核心中の核心と思ってとりかかると、なるほどすぐ取れるホールドは縦ホールドで、2歩上がれば上部のホールドがあるが、そこまで体を上げるのがロープの抵抗があるうえに、狭い凹角でザックが引っかかってじゃまをする。段々面倒になり、ヌンチャクを掴んで上がっちまえ、とおもったが、思い直してまず、ロープを少し引っ張ってゆるめ、体をルンゼから出して右足を突っ張りながら縦ホールドで頑張って左足を上げると左手が上のホールドに届いた。ここを抜けると緩い傾斜になり5mほどで終了支点がみつかる。ここでもコールは通らなそうなので、無言のままロープの合図でスムースに後続は登り始める。トップロープでも凹角部分はロープの流れがおかしくなるようで、T橋さんから2回ほど「ロープをゆるめて」の指示が来る。今回のルートでは(出だしの変則的なルート取りを除けば)もっとも登攀的なピッチだったといえる。
 それにしてもここまで、ひたすら強風に吹かれっぱなしで、登っている間は足の指も暖まるがじっとしていると痛いほど冷たくなる。鼻水はズルズル、ほっぺたはぴりぴり。N脇さんのくちびるはチアノーゼだが、どうぜ自分も同じだろう。目出帽も鼻水でぬれてかちかちになり、全く防風防寒の用をなさない。初級ルートといえ、厳冬期の冬壁というのはまこと「マゾおけさ」の世界であり、喜びやら達成感など高級な感情など湧いてくる余地はなく、ひたすら寒い、はやく暖まりたい、という原始的感情がわき起こるのみ。
 7ピッチ目はT橋さんリードでルンゼ状岩壁手前でピッチを切る。ここで今日初めての陽の光を浴び、途端に体が暖かくなる。この太陽光の効果は絶大であり、もう相当ウンザリしていたこの登攀に新たな意欲が湧いてくるのであった。
 次が最終ピッチだと思いN脇さんにリードの意向を聞くが、遠慮して私に譲ってくれたので喜んで引き受ける。緩い傾斜のルンゼを登りだすと、また日陰の厳寒の世界で、先ほどの建設的意欲はあっという間に消え去り、「もういやだ」と思うのであった。しかし8ピッチ目の終了点はまたまた日の当たる場所で風は強いがくつろげる。私はどっかりと座って、しかしさすがにこんな緩いところはルベルソをセットするまでもないので、2つのヌンチャクそれぞれに各ロープをセットし、グリップビレーで後続を迎えたのであった。右上方には赤岳山頂の標識が見える。
 この先T橋さんに様子を見て貰うともう傾斜は緩いガレ混じりののぼりだけなので、ここでロープを外して登る。5分ほどで頂上小屋直下の登山道に合流。風が一層強くなり閉口する。一旦頂上小屋の風陰に逃げるが、山頂の東側が風がなく暖かそうなのでそちらに移動する。11時20分。風もなくぽかぽかと暖かい頂上で登攀終了を祝う。ここまで途中の写真も撮っていなかったので一枚くらい証拠写真にとかわるがわる記念撮影。
 下山は、硫黄岳〜横岳の縦走組と出会えるかも知れないと思い地蔵尾根側におりる事にする。風は強いが体が不安定になるほどではなくまあ10〜15mといったところだろうか。後で聞くと縦走班のN川さんは時々耐風姿勢が必要だったらしい。やはり強風には体重が重い方が有利なのである。地蔵尾根分岐で横岳の方をみると6人パーティーらしき姿がみえ、あれかな、と思ったら何のことはない、お目当てのメンメンは我々のすぐ横で休んでいたのであった。みなマスクや帽子で顔を隠しているので、私の目には「あやしい集団」としか映らなかったのである。縦走班は、Y住さんが疲労のため、MHさん、Y内さんとともに硫黄小屋から引き返したらしい。S木さん、T越さん、S子さんはこのまま赤岳まで縦走し、N川さんは、TJさんとともに地蔵尾根を降るとのことである。いちばん最後にやってきたTJさんは風に揺れているような歩きかたで大分疲れた様子。それにしても目だし帽とフードを被ったちょび髭のTJさんの顔はラピュタにでてくる海賊の兄弟の一人とそっくりであると、そこにいる7人全員の一致した見解であった。
 しゃかしゃかと地蔵尾根を降って行者小屋にはお昼に帰還。山人クラブの仙石さんが阿弥陀北稜を登って戻ってきていた。赤岳鉱泉に幕営しているとのこと。それにしてもここは陽射しに溢れ、風もない別天地だ。しかし稜線を見上げると雪煙が舞っており相変わらず風は強い。ビールを飲んだり小屋でラーメンを食べたりしているうちに2時頃には赤岳組も硫黄ピストン組もほぼ同時に戻り、総勢11人の行動は無事無事故で終了したのであった。S子さんは仕事の都合でこのあと単独下山。この時間なら充分明るい内に着くだろう。


●1/12アイスクライミング練習
 この日も快晴、3時半起床。MHさん、Y住さんはまったりしたいとのことで、早朝行動には加わらずおくれて撤収、お互い12時までに美濃戸におりることにする。
 アイス組は当初ジョウゴ沢を考えていたがここから中山尾根を乗越てジョウゴ沢を往復するのもおっくうだし、きっと混んでいそうなので、南沢小滝へゆくことにする。夜明けと共に下山し、南沢大滝の下の南沢小滝に一番乗り。テントが幾張りもあったがまだ誰も起きていなかったようだ。トップロープで今シーズン初めてのアイスの練習。Y内さんの持ってきたクオークと、T橋さんのもってきたバイパーをそれぞれ試し比較させて貰う。バイパーは初体験だが、刃先未加工でも良く刺さり去年感動したクオークと甲乙つけがたい感じ。フリークライミングの練習の成果もあって、体を振って登ることが意識出来るようになってきた。また最初の頃のようにガンガン氷を叩き割らずにフッキング主体で、アイゼンもガツガツ蹴りを入れずになるべく引っかけるように意識して登る。
 初体験の人もみな2本ずつのぼって9時過ぎに終了して美濃戸へ降る。MHチームはまだ到着していないので、MH号に書き置きをして美濃戸口で待つことにする。T橋号は6人乗り、今美濃戸にいるのは8人。私は最初から歩くつもりだったが、もう一人誰か歩く必要がある。「誰か美濃戸口まで歩きたいひと〜、手をあげてぇ」と言っても誰も手を挙げないので、最初に到着して一番余裕がありそうなT越さんを指名し、A藤、T越のみ美濃戸口まできっちり歩く。徒歩組と車組、ほぼ同時に美濃戸口到着。車組の出発間際にMHさんが降りてきて、Y住さんが遅れているとのことで、温泉(樅の湯)で合流しようと言うことになったらしい。Y内さんは遅れているY住さんを気遣い、一旦降った道をもう一度登りなおしてY住さんを迎えにいてくれたらしい。
 私は最初温泉に行かず先に帰るつもりで先発したが、やはりY住さんの下山を確認しないと気になるので途中で温泉組に合流。ところが温泉組は、樅の湯など遙かに通り越してどんどん走って行くではないか!不審に思い、T橋号の後から私がパッシングして停車させようとするが、まったく意が伝わらず走り続ける。やむを得ずT橋号に追い越しをかけて強制停車させて事情を聞くとGPSの入力ミスなのかなんなのか、なんと清里を目指していたらしい。引き返してうろ覚えの記憶で何とか樅の湯についたころ、N脇さんの携帯にY住さん無事下山の連絡が入ったとのことで、私は改めて入浴せず先行帰宇とした。
 MHさんは樅の湯に行きますと言っていたとのことだが、今回は合宿で出しからルートミス連発のようで、無事に樅の湯にたどりつけたかどうか、現時点では私はその結末をしらない(後日確認したら無事合流できたとのことでした。めでたしめでたし)。
 
反省と課題:
 合宿の本来の総リーダーであるT村さんが参加できなくなったため、冬合宿の成否と安全の責任のお鉢が回ってきた身としては、11人での八ヶ岳冬合宿が縦走班、バリエーション班、アイストレとも一応目的を達成して大きな事故無く終わり何よりである。とくに縦走班は、同じ会の会員とは言いながら初顔合わせが多い、いわば「混成部隊」であったにもかかわらず、リーダー陣のみならずのメンバー間の連携と支え合いは一方ならぬものがあったと思う。本当にご苦労様でした。一方、バリ班は冷たい強風にはウンザリだったが、お互い勝手知ったるメンバーだったのでその点は気が楽であった。
 この合宿で新しい経験をしたり、自分の力量を確認できたという人が自分も含めて多いだろうから、合宿の意義は疑うべくもない。しかし3000m級の厳冬期の山行を行うにあたって、各自のルートチェックや装備の準備不足、初顔合わせのメンバー構成と体力や登山技術レベルのばらつき、パーティーシップなど、一歩間違えば事故につながりうるトラブルや要因はいくつもあった。あるいは厳しい見方をすれば事故がなかったのは単に、たまたま入山中の山の状況がそのような欠点を許してくれるレベルだったからというだけだろうと感謝し、反省もしている。ただしそれは我々のパーティだけに見られた欠点ではなく、少なからぬ入山者あるいはパーティが大なり小なり、いわば「山を甘く見て」あるいは「自分(達)の力量を過信して」入山してきているのだろうと推察される。赤岳主稜でのどたばたを見聞して一層その思いを深くした。
 日本の山は里山歩きから厳冬期の3000m級まで境目なく連続していて、登れる山と登れない山の区別がつきにくいとよく言われる。そして冬の八ヶ岳ほど入山しやすい3000m級は他にない。だからこそいつでも誰でもどこでも思い立ったら準備も訓練もナシにいける、という錯覚を抱いてしまうのではないだろうか?
 無論、自分がやれる限りの困難な山をやりたい、限界を押し上げていきたいというモチベーションは、アルパインに限らず登山の根源的欲求の一つであるから、このモチベーションを否定したら登山の魅力は激減する。しかし口はばった物言いで恐縮だが、自分の(過去ではなく)現時点の力量と山が要求するレベルの冷静な比較検討のステップがないと、どこかでいずれ「無謀登山」の範疇に足を踏み入れる。「そこに山があるからだ」とばかりに、ぶっつけ本番で臨むのではなく、起こりうる危険を可能な限り想定し、個人として、パーティーとしてそれらに対し万全の備えをすること。そこに登る条件が自分にまだ備わっていなければ条件をクリアーするまで訓練すること。向かう山の条件が厳しければ厳しいほどそういった堅実なステップが自分やパーティを事故から守る上で重要になってくるはずだ。
 
●バリ班参加者のコメント:


◆私の冬合宿初参加は寒い寒い強風と楽しい夜の語り合いの一言に尽きます。昼間の赤岳主領は取り付きから山頂まで強風に恵まれ山の会に入って以来のきびしい山行でした。これは忘れることはないでしょう?
 夜はS木さんやMHさんの古き、新しきの話で盛り上がり楽しい夜がすごせました。皆さんありがとうございました。又行きましょうね。(T橋)


◆私にとっては、初めてのホンチャン登攀。8ピッチという数字で疲れてしまう。陽の当たらない、吹きっさらしでどんどんブルーになっていきそうだ。厚い手袋で操作も手間取る。カチャカチャやっているだけで消耗しそうだ。暖かくて風もなければそんなに難しいところではないのだが・・・。ところが現実は、陽が当たらず、風が強い。それと対峙できないところが自分の弱さなのだろうな。最終ピッチは私にトップをやらせてくれるはずだったが、息を整えている時間が延々と続く。結局A藤さんに行ってもらった。体力的というよりは、精神的にバテていたのです。これじゃいけない、いけないんですよね。もっとアクティブに、“攻めのNワキ”に変身しなければ・・・と思うだけだったりして。
 下りは、あっという間にテン場までついてしまった。下りが短いというのは大変楽だ。青空の下で飲んだビールのうまい事。三日間の連休、十分山で遊ばせてもらいました。(N脇)



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