山行記録 赤岩〜古賀志〜鞍掛〜半蔵山完全縦走(副題:厳冬期古賀志完全縦走)


目的:地元低山はしご縦走

日時:2000.2.6
メンバー:CLS藤、A藤、T村、S石、K森(宇HC)
コースタイム:5:00半蔵山北尾根下山口車デポ=宇都宮森林公園車デポ=5:50西登山口(225m)〜6:09発--6:38猿岩(433m)--6:58〜7:07赤岩山(535m)--7:43御岳山(560m)--7:53〜8:03古賀志山(583m)--富士見峠(500m)--8:30 559m Peak--9:29〜9:40 431m Peakム385m鞍部--10:02(西鞍掛山485m)--10:23鞍掛山(492m)--10:29〜11:00大岩・昼食--11:25鞍掛峠(335m)--10:25 471m Peak--13:14 493m Peak--13:33〜13:53半蔵山(502m)--14:20 425m Peak--14:39車デポ地(225m)


記録(A藤):


<いきさつ>
 女峰300号記念特集号アンケートを覚えていますか?昨年11月の入会時にいただいたこの厚い会報の中のアンケートで、S藤さんの「今年の目標」に、「厳冬期古賀志全縦走とか(周囲のヤジ)」とあり、私もぎゃははと笑った一人であった。ただ笑うのみでなく、早速これに対抗して「厳冬期八幡山登頂計画ム極地法による」を企画し、アルパイン専門のA野さんに同行をお願いし(て断られ)たほど、この縦走計画はインパクトがあったのである。このころの私が知っている古賀志の概念とは赤岩山〜御岳山〜古賀志山という歩けば1時間程度の短い稜線とその尾根だけであり、てっきりジョークだと思ったのも無理からぬところである。しかしS藤さんはきわめてマジメであり、昨年末不動岩でクライミングの手ほどきを受けているとき、「A藤さん、古賀志縦走やらない?」とのお誘いがあったのである。話を聞くと、それは単に赤岩〜古賀志ではなく、古賀志から延々と長駆縦走し、鞍掛から更に半蔵山までゆくという、総延長15km、累積標高1200m以上となる完全縦走プランなのであった。
 2.5万図「大谷」を買ってみれば、このコースの全貌を一葉の図譜のほぼ左下端から右上端にたどることが出来る。なるほど、ルートファインディングが好きな人間が、この地図を買えばやってみたくなる縦走である。一般ルートで鞍掛山に登った以外、古賀志以北未踏だった私は、入会前に山の会のインターネットホームページで昨年1月の古賀志〜鞍掛縦走の記録を見ていたこともあり、いたく興味を惹かれてこの地味な大縦走実行の日が来るのを楽しみにしていた。
 2/6を決行の日と決め、参加者を募るとS石さん、T村さん、といった強者が名乗りをあげ、さらにS石さんの紹介でK森さんという健脚女性も参加の由。たちまち私はおろおろし、取り残されてもいいように、途中下山用の車デポ地には自らの車を置くことを心に決めたのであった。当日の天気が危ぶまれる中、直前2/3木曜の定例会で、「雨で古賀志縦走中止になったら、那須にゆこうかなあ」と、同日に那須で行われる深雪訓練に参加予定の松本(一)さんに話かけていると、横におられたT村さん「え、雨だったらA藤さんいかないの?!」と一言。「いえ。いきますいきます」と私。かくして2/4金には「2/6古賀志縦走は天気不問で5時集合」の厳しいお達しが流されたのである。流したのは誰あろう私であり、やはりオールラウンド山岳会の岳人たるもの全天候型でなくちゃね、と取ってつけたように思うのであった。
 さて当日4時過ぎに家の玄関を出て、空をみると雲に覆われ星は見えない。昼頃から雨かな、と思いつつ集合場所へ一番乗り。S藤、S石、T村と集まり、S藤、T村さんで先に下山口にT村号を置いてくる。5時を過ぎてもK森さんがあらわれず、ご自宅に電話すると森林公園で待っているとのこと。S石、A藤号で森林公園へ急ぐと、幸い行き違いにならずK森さんと合流。私は謙虚に予定通り自分の車をこの中間下山地点に置き、全員S石号に乗って西登山口へむかう。


<表古賀志山域>
 6時前に着いた西登山口は植林の中で真っ暗。「で、古賀志登山で冬の朝5時集合なんて計画たてたのは誰?」と冷たい言葉が人々から発せられる。行き場を失った私は、「いえっ、大丈夫。ここは森の中だから暗いだけで、もう夜は明けますよ。ほら、空を見て下さい、明るいでしょ」と救いを求めて見上げたが、樹間の空は相変わらず暗く曇っている。人々はやはり冷たい目で私を見、今度はこれみよがせにことさら明るい懐中電灯をつけてあたりを照らし、「あー暗い暗い」とあてつけるのであった。私はわざと暗いペンライトをつけて「ほら、これで充分ですよ」と対抗するのだが、多勢に無勢なのである。
 でもそうこうしている内に本当に薄明るくなってきて、6:09出発する。幸いテープが所々木の枝につけられており、S藤さんも知っている道なので、明かりがあれば迷うことなく進める。南東に走る尾根に右斜面から取り付き、トラバース気味に登って尾根筋へでると、平坦地に廃屋となったプレハブの小屋がある。「山の会の別荘にして、宴会をしたいね」と云いながらここを通過し、次第に傾斜を増す尾根をたどる。6:20過ぎには、針葉樹林帯をぬけたこともあってもう懐中電灯は不要となり、以後人々の会話は「あ、鳥が鳴いてる」「眺めいいねぇ」といった安泰な方面へ移っていったのである。闇と光は斯様に人の気持ちを左右させるものか。6:38三角点のある通称「猿岩」着。一息入れ、赤岩山へ向かう。篭岩を通過し、6:58赤岩山。山頂東のパラグライダー発進台で休憩。宇都宮の町並みが見え、空は曇っているが降り出す気配はなく、煙は地上を這い、まだ大気が安定していることを示している。
 台の下に貼られた転落防止ネットをくぐって東へ縦走を続ける。御岳山手前の岩稜の登りのあと、しばらく行って数メートル下る岩場はロープを出すことも検討したが、結局使わず慎重に通過し、御岳山頂へ。新しい木のベンチとテーブルが設置されている。古賀志山頂には7:53着。出発から2時間以内で着かないと遅いよ、とS藤さんに云われていたのでまずはほっとして丸太のベンチで休憩し、エネルギー補給。K森さんのザックは今回メンバー中もっとも大きく、沢山のお菓子が入っていそうで、惜しげもなくお裾分けしてくれる。古賀志山のご神体の解説をT村さんから聞いたあと出発する。山頂から北に下り、富士見峠を通過。この地形で富士がみえるとは思われないのに何故この名が付いたのか、という話になる。もしかしたら西の方に見えるのだろうか。


<北古賀志山域>
 ここ富士見峠以北を北古賀志と便宜的に名付けよう。峠の先のピークが中尾根の頭で、この東へ下る尾根は花が多く春はお勧めとS藤さんが云う。中尾根の頭を越えてわずか登ると559m Peak。眺めのいいピークで休憩する。歩いてきた赤岩は大分遠く古賀志山の後方となり、北東には鞍掛、更に遠く半蔵山の山並みが見える。北進を続けるとGさんという方がかつて切り開いたバリエーションルート「古賀志馬蹄形縦走路」の分岐部を示すらしいケルンがある。この馬蹄形縦走路はここから西に進み、いわば<裏古賀志>とでも云うべき383m Peak、444m Peakの連なりを通過し、最後は南下して西登山口へ戻る周回コースである。S藤さん、K森さん以外は未踏で、この次はこれをやろうという話になる。その先の鞍部から西へ下る踏み跡には「左・手岡」との標識がある。この先のピークから縦走路はまた東へ向かう。雲はむしろ薄くなって日射しも出てくるようになりみんな喜んでいる。全天候型岳人とはいえ、やはり夜より昼、雨よりお日様が好きなのである。相変わらず無風で、今市の家並みからの煙もまだ地上をたなびいている。9:29 431m Peak、これが古賀志山系最後のピークとなる。ここで小休止。
 S石さん、S藤さんが腕だけで木登りを始める。昨秋、裏妙義でも披露された妙技である。これをみていると木登りもフリークライミングと並んで、ツリークライミングとしてグレーディングとルールの設定をする必要があるのではとおもう。我々が普通に横枝を頼りに両手両足で登るのが、2級。垂直の幹だけで、抱きついて登るのが3級、この腕登りは4級、5級は転落死を避けるため確保の道具が必要、・・とか。当然、オンサイトもレッドポイントもある。木の種類によりサブグレードがあり、特に日光杉は憧れの一品、一方アカシヤとかハリギリのようなとげとげの木に挑むものは、尊敬されながらも変人扱いされる、とか。シラキの大木しか登らない、しかも春だけというようなコダワリ派もあらわれたりする(あ、これは単なる山菜取りか)。無論人工壁に倣い、人工木も、各地に作られるに違いない。
 行く手、鞍掛山の左には鞍掛を小さくしたようななだらかな頂稜部をもつ小峰が見える。これを勝手に「西鞍掛山」と呼ぶことにする。S藤さんによれば、この西鞍掛山の登りはきついらしく、途中だましピークもあるらしい。これに「だまし西鞍掛山」という舌をかむような名を付けたいところだが、ここから眺めても2.5万図をみても、残念ながらそれにふさわしいピークはみあたらない。
 鞍掛山系との境界となる385m鞍部へ向けて下りて行くと複数の人声が前方から聞こえる。鞍部に出てみると、カラフルなウェアを着けたサイクリスト10人余りが宇都宮側から今市側へと集団で峠越えをしているところであった。マウンテンツーリングないしマウンテンサイクリングという遊びであろう。以前古峰ヶ原の地蔵岳の登りで、細尾峠から縦走してきたという二人連れのサイクリストに出会ったときはびっくりしたものだ。我々が道のない藪山を行くように、過激な一群は一般登山道のないような所にも自転車に乗ってというか、自転車を担いで入って行くらしい。そのうち沢に目を付けるマウンテンバイクなんかもあらわれ、遡行中滝をジャンプして下りてくるサイクリストと遭遇するかもしれない。こう書いてくるとツリークライミングとのバランス上、やっぱり書きたくなるのが自転車登攀(チャリキクライミング)で、これはまさか乗ったまま垂壁や木を登れる訳がないので、自転車を背負ってのぼり、下りはといえば、まさか乗ったまま下れる訳がないので、またまた背負ったまま懸垂下降するという勇壮なスポーツである。ロッククライミング同様フリーとエイドに分類される。しかしこう書いていても、ちっとも流行りそうな気がしないのは何故だろうか。オールチタン製の超軽量自転車が開発されれば、流行ると評論家は口をそろえて断言するが、自転車を背負って上り下りすることの論理的必然性を説明してほしいという取材記者のもっともな質問には「別にぃ遊びだしぃ」との回答のみだそうで、半信半疑の自転車メーカーは二の足を踏んでいる。当然といえよう。


<鞍掛山域>
 さていよいよ西鞍掛の登りである、確かに急だが、途中傾斜が緩む息継ぎ部分があり3回にわけて登れるので助かる。10:02西鞍掛山。鞍掛山との間の鞍部へ向け下って行くと、向こうから来る単独行の男性と行き会う。先ほどサイクリストを見た鞍部から周回するらしい。この日出会った唯一の登山者だった。この先、鞍掛登山道の合流点に気づかないまま10:23鞍掛山頂着。昼食は山頂東の大岩と決める。大岩での昼食。行動食しか持ってこなかった私がS石さんの弁当をのぞき込んでうらやましがっていると、同情してくれたK森さんがまだ暖かい手弁当を分けてくれ、これが何ともおいしい。T村さんはここまでまだ水は100mlも飲んでいないとのことでびっくりする。食事をおえるころようやく風が出てきて、いっときわずかに風花が舞う。しかしまだ天気は持ちそうだ。
 大岩から西へ戻ったピーク先の踏み跡をたどって、宇都宮ー今市境界線上を北へ下る。かなりの急傾斜で足場も悪い。途中からは踏み跡もない。最後の部分は掴まる木もすくないので、S石さんがK森さんの安全確保のためにロープを出し、大過なく急下降終了。あとは緩く植林を下って、今回の縦走で唯一車道を横切る地点となる鞍掛峠に11:25着。全行程の最低鞍部であり、それ故古来宇都宮〜今市間の往還に利用されたこの由緒ある峠も、トンネルができてからは交通量が減ってゴミの不法投棄の場所となってしまったようで、辺りにはゴミが散乱し、金精様にはスプレーペンキで落書きがされているといった悲惨なありさまである。


<半蔵山域>
 ここからいよいよ半蔵山系に入る。地図上尾根筋は比較的平坦だが、長さは長い。出だしは電波中継所までの車道を辿る。この枝道もいたるところゴミが捨てられている。車道最終部分は大きなヘアピンカーブで、私はショートカットで急斜面を直登。こういうことをやると体力消耗するので、長い登山ではやらない方が賢いと分かっていてもやる人間がやはりいるのである。そうしたら最初車道をみんなと歩いていたS藤さんも我慢できずに途中から直登したといっておいついてきたので、少し救われる。半蔵山系にはいると、踏み跡は薄くなり、時々枝をかき分けての進行となる。振り返ると鞍掛山の右に西鞍掛が、側面から眺める恰好になり、驚くほど尖った鋭鋒として屹立している。北上して登る尾根が東に曲がるあたり、思いがけず花をつけたマンサクの木を見る。まだ開きかけのつぼみは一つ一つ、心細いばかりに小さい。しかし今年始めて出会った、山の春の先駆けであるその黄色は、やや曇りがかった日射しを浴びて印象的だった。
 10:25 471m Peak。この先に眺めの良い岩場があるとS藤さんがいうので、そこまで行って休憩となる。南東に向いた尾根に砂岩の岩盤が露出していて眺めも良い。大谷石の小さな祠があるが、浸食され字は読めない。ここから見る半蔵山は右手前の493m Peakとともにゆったりとした裾野をひろげて、なかなか立派な山容である。岩盤の下は思いがけず隙間がずっと奥まで拡がっていて、のぞき込んだS藤さんはここを飲食料の秘密のデポ地にしようよという。実はS藤さんの古賀志〜半蔵山系への入山回数は既に100回をこえるらしく、あちこちの秘密の洞穴や岩陰に水などをデポしているらしい。では、それを実際使っているかというとそうではなく、5年も放っておいたジュースを飲んだら酷い味がして吐き出した、といった有様らしい。とにかくそうやって隠しておくのがうれしいのである。「だって楽しいじゃない」とS藤さんはちょっとはにかんで云う。数年前の大晦日の日、ある祈りを込めて古賀志山西の小さな岩稜に、お賽銭のつもりで500円玉を埋めた私には涙がでるほど、共感できる話である。誰でも自分で登った山は、連なる山並みの中にでも見つけだせるものである。だがそれだけに留めず、お気に入りの山にちょっとしたものを隠しておく。そうすると遠くから眺めてもその山は周りのどの山とも違った特別な輝きをもった山になるのだ。まるでサン・テグジュペリのあの有名な童話の一場面を見ているようではないか。「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからなんだよ」。それにしても、先々週の宿堂坊山といい、S藤さんと同行の山でこの童話を連想することが続くのはなせだろう。
 地図をみると次の鞍部から、493m Peakへの100m程の登りはちょっときつそうである。行ってみると特にピーク手前の30m程の斜面が予想以上に急だった。荒い息でやっと登り、一呼吸いれてピークを目指す。ピークには祠があるよ、というS藤さんの言葉通り、密な凝灰岩で作られた、高さは2mを優にこえる石祠が藪の中にまつられている。山中にこんなに大きな石祠を見るのは初めてだ。右横に安政3年再建と掘ってある。お賽銭が2つ3つ。手入れはされておらず、石組みがゆがみ、崩壊しかかっている。T村さんは記録写真を撮る。里の低山とはいえ、江戸時代麓の村人が苦労して石を運び上げ、この大きな祠を作ったときに込めた願いは何だったのだろうか。当時のおそらく切実だったに違いない祈りを今ここで伺うすべもない。この祠も嵐や地震があればいずれ倒壊し、藪に埋もれるのであろうか。
 さて、縦走もいよいよ最後の山頂を迎える。鞍部からわずかにのぼると檜の植林のなかのほぼ平坦となり、2つの石祠のある半蔵山山頂に13:33到着。他にも礎石だけになったものが2つある。山頂は展望がないが、西に蔦で覆われた露岩がありここで下山前の大休止となる。遠くに靄に霞んで笹目倉山から鶏鳴山の稜線が見える。日光連山は雲の中だ。今市の田畑と集落を眼下に、T村さんが、大平山からの陸の松島の眺めのようだといい、一同頷く。出発の際、T村さんは431m Peakで拾って以来行動を共にしたお気に入りの杖を岩下に落としてしまう。一旦は諦めたが、休憩の度に鋸で切りそろえ、ナイフで削って面倒を見た愛着ある杖を見捨てては行けず、わざわざ下まで回り込んで拾って戻る。  
 北へ向かって尾根を下りて行くとすぐにまた、屋根や壁のなくなった石祠が1つ。かわいらしい石段だけが残っている。更に下ると送電線の鉄塔が近づく。ここで送電線巡視道を走ってきたらしいサイクリスト集団にまた出会う。話をすると先ほど鞍掛手前で見かけた人たちのようである。S石さんは知り合いの方を見つけびっくりしている。サイクリストの走り下った巡視道を鞍部までおりる。ここからコンパスで方向を確認して425m Peakまで、本日最後の登りである。落ち葉と石ころで滑る薮の急斜面を、疲れてきた足と手でがんばって登りあげると行く先に次の鉄塔が見える。尾根をたどり近づくとどうも送電線は、地図上の走行位置よりも100m近く南(手前)を走っており、尾根分岐点の確認に混乱させられるが、地形図通りコンパスの方向を信じて降りる。330mあたりで尾根から左へそれ、鉄塔建設の際に着けたと思われる作業道へ出る。作業道は左へ迂回して下っているようなので、A藤はデポ車の位置の見当を付け、道をそれてまっすぐ下り、誤差0m(少し手前から車が見えたので当たり前である)で車の所に、14:39分下山。続いて我々より少し下で作業道をはずれたS藤さんが5mほど先の藪から姿を現し、まもなく作業道を下ったメンバーも皆そろい、ここに無事完全縦走は完結したのであった。中間車デポ地に戻ると、丁度サイクリストグループがツアーを終えて帰ってきていた。登山者とは1人しか出会わなかったがこのグループとは3回も出会ったことになる。
 曇りだが雨にならず、暑からず寒からず、風もおだやかという天気に恵まれ、路面コンディションも凍結などなかったため、予定所用時間10時間(6時発、16時下山)より早いペースだった。そして、入山100回をこえるS藤さんが、まだまだ知らないところがたくさんあるという、この身近な山域の新しい一面にふれた山行であった。

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