[山行記録・実川の源流に湿原を探して]



山行記録         「 実川の源流に湿原を探して」

日時:2001年8月18〜19日
メンバー:CLA香(記録),AU塚,A山,T田
コースタイム:
8月18日(土) 今市市役所 20:00 桧枝岐スキー場 22:30 (刈泊)
8月19日(日) 御池駐車場7:30 車道8:00 重兵衛池8:10 タヌキモ池8:30 
バニシング田代経由硫黄沢9:30 熊クソ田代11:10 二岐11:30(昼食) 長池12:35 
車道12:50(バス) 御池13:30 木賊温泉経由宇都宮 19:30

記録(A香進)
 1975年に「ウッドストック行最終バス」でデビューしたイギリスのミステリー作家コリン・
デクスターのモース主任警部シリーズが21世紀を目前にして第13作でついに終了してしまった.
主人公モースはシャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロを抜いて人気探偵ナンバーワンの座にまで登りつめた.
パズラー(謎解き・犯人捜し)としてモースが登場する本格の上質ミステリーの新作をもう読むことができないのは
なんとさびしい限りだ.面白さの点では2作目の「キドリントンから消えた娘」がより上である.
当時デクスターの作品が英米よりも,日本での人気が高かったのはミステリアスなことといえる.
  
 前置きが長くなってしまったが今回は「深い森の中から消えた田代」,
つまりバニシング(消滅)湿原探索行の記録である.

 いつかは訪れてみたいと想っていた池がある.
その名は重兵衛池.
 御池から沼山峠への車道は急角度で右に折れ曲がる.
すると池は左下方の森の中に見ることができるのだが,バスの窓の視界からは瞬間に消えてしまう.
徒歩においても硫黄沢遡行の帰路,何度も見ているのだが何故か池畔に自身を置いて
みるというイメージを喚起することはできなかった.

 ところが面白いものである.2万5千図をよく読めば重兵衛池の先にはもう一つ池があり,
その池と硫黄沢の間には小さな湿原マークがあって,なんとかその湿原にたどり着きたいと
希求するようになった.硫黄沢へはアプザイレン(懸垂下降)すればいいじゃないか.
そして過日(7月1日の山行),見つけることのできなかった熊クソ田代下に在る湿原へと硫黄沢を遡行していってみたい.
 コースは頭の中にできあがってしまった.

8月19日(日)7:00 天気 朗
 御池から車道を我々が歩き始めると「どこへ行くの?」といぶかしげに声をかける
バス運転士を尻目に「アッチ」と指差して答え,30分も歩くと前述した急カーブ.
ここから藪の斜面を下ると重兵衛池はすぐだった.T田君はジャブジャブと池に入り,
満面の笑みで「タヌキモですよ」と手にとって見せてくれた.のぞきこんでみると,
なるほど,タヌキのしっぽに似た水中植物が池の中を埋めつくしているのだった.
藻の根元あたりにはゴマ粒大の黒い球がいくつもあって,これを開閉してプランクトンを補給しているのだという.
 池面は鏡のよう,さざなみひとつない.
重兵衛池周辺は湿原になっていて天を向いて咲くミズギク,白く可憐なイワショウブ,
モウセンゴケ.池にそってズブズブと湿地を行くと水草を浮かべた地塘があり
「僕はいままでこんなところに来たことがありませんよ」と痛く感動のようす.
それはそうだろう,T田君は植物学者(の卵)なのである.
 コンパスを使って藪に入ると次の池は近かった.丈の高い草に覆われた小さな島があり,
AU塚悦子さんが膝下までもぐる水の中を歩いてめでたく上陸第一号となった.
大きく池を回りこんだA山・T田パーティと落ち合う.この池と重兵衛池は小沢でつながっていた.
ここもタヌキモでいっぱい.因ってこの池をタヌキモ池と呼びたい.
 タヌキモ池からはネマガリタケの密藪に突入する.はるかに背丈を没する手強くしたたかな藪である.
頻繁にコンパスを見ながら方角を微妙に修正しつつ藪の海をこいでいくのだが,
田代らしきものがない.ないものは見つからない.
 あのモース主任警部だって無理だろうな.
 (憶測だが)この田代は深い森の中のネマガリタケの底へ消えたのではあるまいか.
これは,バニシング田代とでも言う他はあるまい.消滅の田代である.
 水音が聞こえる方角に藪を下るとなつかしの硫黄沢であった.
冷たい水が気持ちよい.出た位置は大滝よりもかなり上流の河原.
太いミズナラの樹が3本.用心のために持ってきた50mロープ,ハーネス,ハーケンなどは不用であった.
 この河原をひたすら歩き,3mの魚止メ滝を高巻いて進んで行くと右岸より小沢が出会う.
その右岸台地に田代はあるはずなのだが,実際にはない.
平らな地形は一面のネマガリタケの勢いに凌駕されてしまったのだ.
周辺を探ってみると田代だった痕跡がある.迷路のように入り組んだ沢の,
浅い形の名残り.国土地理院発行「燧ケ岳」2万5千図を裏返せば平成3年の記.
それから10年の時を経て,田代は藪の海へと没したのである.
実川支流の黒溶沢左俣源頭の湿原はあきらかに,
人の手による森林伐採の影響で消えたものであろう.(「女峰」No.326参照)
 消える田代もあれば生まれる田代もある.それが自然の新陳代謝だ.
 熊クソ田代を過ぎた二俣で冷やし中華のお昼.
 さらに流れを追って行くと長池に出た,ミズギク,
イワショウブ,サワギキョウ.この広い原を嬉々として駆け回っているT田君.
私とA山さんは燧ケ岳を背景に記念撮影をしてもらった.目の前の車道へ藪を漕いで這い上がる.

 「最初と最後がヤブの山行なんて初めての経験よ」とAU塚さんは行ったものである.
 

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