23.ダムの底に沈む登山口・・? 横瀬山   1284.3m

   
期間:2002・3・10   天候:快晴  単独行   地図:五十里湖
山名:横瀬山{五十里湖}1284m 一つ石よりピストン
コースタイム:一ツ石9:30− 横瀬山11:15-11:50−一ツ石12:45


山行記録:三月第二週の日曜日、先週の葛老山・高瀬山に続いて、五十里湖の山で、これらの山よりも少し湯西川の上流に位置している横瀬山を目指した。
湯西川ダムの建設は、現在ある県営湯西川発電所のすぐの上流になるらしく、高瀬山の中腹を伐採し、既に杭が打ってあった。赤下の集落はダムの底に消え、一ツ石集落はダムの最上流部で、かろうじてダムから逃れそうであった。それは、横瀬山の登山口、一ツ石集落を過ぎた地点より、湯西川の河原に降りたその時に感じた。道路の山側の樹木にはないのに川側の樹木には小さな木にさえナンバーの付記した青いテープが巻かれている。これはダム造成に対しての補償の調査標であろうと思えるからだ。
清流が美しい石の間をサラサラと流れているこの湯西川を、飛び石伝いに左岸に渡った。ここもダムの底に沈んでしまうのだろうか?昨日は西方町の城山に登ったが、町の城址探勝会が開かれて、地元の小、中学生達に混じって西方氏が造った中世の山城跡の見事さに感激し、遠い昔に思いを馳せた。そしてこの城址は藪に隠されていたのを、地元のボランティアの刈り払いによって、私たちの目に触れる事が出来たのだった。それに比して、今渡った清流はダムの底に沈む、何とも寂しい思いを抱いてしまう。
2.5万分の1の地図には、この一ツ石より北の藤原町、上坪集落への山道が記されている。それは、横瀬山を登り、さらに稜線を北へ辿り、持丸山の東側鞍部を峠にして沢に沿ってこれを上坪へ下って行くものだった。
杉林の沢筋には、踏み跡が続いていた。私は残雪の中のその踏み跡を辿って、横瀬山の登山を開始した。5分も歩くと踏み跡は薄くなり、右へとそれ怪しくなって来た。どうやら猟師達の足跡のようであった。私はここより左の尾根を目指して、杉林の急斜面を登り始めた。凍てついた残雪が杉の葉に隠され滑り易く、少々てこずったが、藪漕ぎよりは救いである。尾根に辿り着くと、西側が雑木林で薄い藪が出てきた。
一時間も登ると残雪も増え、気がつけば杉林もなくなり、ブナやミズナラ等の落葉樹の尾根に変化していた。背後に残雪も眩しく、明神ヶ岳が険しい山容で圧倒して来る。是非ともこの春には登りたいと思っている山の一つであった。
ワカンを装着しさらに登った。西側より尾根が競りあがって、やがて合流して来る。岩も時々顔を出して来たが、それ程のものではなかった。快晴の中、流れる汗をポタポタと落しつつ、ゆっくりと登り続けた。
東側よりの尾根が合流すると山頂は近い。誰も登って来ない今日、横瀬山は時々風が梢を鳴らす以外は静寂そのものだった。
11時15分山頂に到着した。雪が三角点を隠してこれを見つけることは出来なかった。周囲の木々を見回しても山名板もなかったが、ここより高い地点はなく、間違いなく私はここ横瀬山の頂きにたっていた。
ザックを降ろし、おにぎりとお茶の昼食にした。東に高瀬山、南に葛老山から高土山、明神ヶ岳を眺めつつの食事は美味しい限りであったが、私一人だけなので自信を持って山名を確定できず教えをこう人がいないのはいたしかたない。
この春は出来るだけこの山域の登山を続けたいが、暖冬の為か意外と残雪が少なく、藪が立ち上がる前にどれだけ登れるだろうか?全山の踏破は難しいかもしれない。
35分ものんびりと過ごしたが、記念のシャッターを押した後、山頂を下った。
快晴の空の下、自分の残した残雪の中のトレースを下るのだから、地図も磁石も必要なかった。僅か一時間たらずで下山した。
帰路はやはり温泉入浴が一番である。鬼怒川温泉、岩風呂の湯船に浸かり、目を閉じれば横瀬山頂の展望が鮮やかに甦った。

inserted by FC2 system