71.遥かなる秘峰・高薙山  2180.7m     


期間:2003.4.27     天候:晴れ  単独行  地図:川俣温泉.男体山
コースタイム:湯元温泉駐車場6:15−刈込湖7:50−8:00−金田峠9:00−
       1971mピーク9:40−2000mピーク10:40−2193mピーク11:00
       高薙山11:35−11:55−2193mピーク12:35−1971mと2193mとの鞍部
       13:40−刈込湖14:10−14:20−湯元温泉駐車場15:40


山行記録:以前手白山に登った時、ミネザクラの白い花の南に雪を抱いて大きく聳えたつ山、それが高薙山だった。その深い懐は容易に私を寄せ付けない、そんな厳しさを持った美しい山容であった。
昨日この高薙山へ登ろうとして、山王峠の太郎山登山口近くの路肩に駐車し、涸沼から切込湖、刈込湖と歩いて来たが、スタート時間も遅かったのと、夜来の雨の為、雪は軟らかく、ワカンを着けていても、ズボズボと雪を踏み抜いて、ペースは一向に上がらなかった。刈込湖に到着したのは、既に11時近くなってしまった。それでも、登山コースに決めていた1971mピークと2193mピークとの鞍部近くへ伸びている尾根を辿って登ろうとした。
しかし残雪は消え、背丈を越える笹は下方へ倒れて立ち上がっていた。これを掻き分け、これを掴んで少しづつ登ろうとしたが、体力はすぐに消耗してしまった。1時間があっという間に過ぎ去って行った。無理に登っても帰路の時刻は18時をオーバーしてしまうだろう。明日早朝よりの再登山を考えた方がベストであると判断し、刈込湖へ戻り、さらに切込湖、涸沼へと歩いて、ここで休憩の後、帰宅した。
明けて今日、4月27日4時、早々に自宅を出発した。登山口は湯元温泉に変更した。しかし、金精峠へは雪崩の為通行止め。やむなく湯元温泉の駐車場に車を停め、6時15分歩き出した。
国道を横切り、蓼ノ湖を見下ろす地点に差し掛かると、登山道に残雪が現れてきた。小峠以降は刈込湖までは、未だ1m以上の残雪があった。
昨日も来た刈込湖には7時50分到着した。湖の東には山王帽子山と太郎山が重なり、手前には於呂倶羅山、いずれも朝日を受けて美しかった。
ザックの中からパンを取り出し、これを食べながら、登山コースで一番労少なくして、稜線に立てそうな1949mピークと1971mピークとの鞍部、金田峠へ登ろうとしてこれを眺めた。
10分後、刈込湖を対岸へと廻り込み、金田峠へ突き上げる沢へと歩き進んだ。ここは1949mピークの西側であり、残雪が豊富で順調に歩けた。ただ谷を登り進むのは雪崩の恐れがあるので、於呂倶羅山の西、1949mピーク側の西斜面をトラバース気味に登って行った。昨日苦労した藪、時には苦労するものの残雪が点在して藪を下に敷いていた。私はこれを拾い歩きしつつ登って、1時間後金田峠に到達出来た。
ザックを降ろし休憩する。かつてこの北には西沢金山があったとか。日光湯元温泉と川俣を結ぶ貴重な峠道でもあっただろう。又、修験者たちが水場へ降りる大切な道でもあったのだろうか?
稜線歩きは、今までの登りとは違ってやはり歩き易い。雪の消えた地点には獣道なのか、薄い踏み跡が続き、シャクナゲ等で前を塞がれた時は、北斜面の残雪を利用して歩き進んだ。やはり、この高薙山への登山適期は残雪時であろうから、今は少しこれを過ぎてしまった気がした。
稜線には古い石の祠があった。これはやはり、いにしえの修験道の名残であろう。(後日、宇都宮勤労者山の会の安藤さんに聞いたところ、これが先頃貴重な修験者の遺蹟として発見された、鋼製の扉を持った金剛堂だった。この事は山の会の会報、「女峰」に発表されていた。そして、かつてここには宿坊があったその史跡だった。現在その扉は日光市の重要文化財の指定を受け、輪王寺で保管されているとのことであった。)
最初のピーク1971mには、順調に歩けて金田峠より40分で到達出来た。目指す高薙山は稜線を西へと辿って、2193mピークで北に方向を変えて、三番目のピークであった。
南斜面には薙ぎを見せ青い空に聳えていた。ここよりは谷を隔てた北方に位置している。私の目測では、ここよりピークを一つ越えたジャンクションピークの2193mピークまで1時間、さらに高薙山頂まで1時間の計2時間で到達出来そうに思え、今日の高薙山登頂を強く確信出来た。
1971mピークよりの下りは、やや西北西に方向を変えるが、コメツガの小木が密生して、これを苦労しつつ通り抜けるよりも、北斜面の残雪をトラバース気味に歩いた方が楽だった。
やがて鞍部に達し、今度は登りに変化する。眼下には刈込湖が見え出し、ここへ下れる尾根を確認出来た。そして帰りはここを下ろうと考えた。
2193mジャンクションピーク手前に、2000mの小ピークがあり、ここへ到達するのに意外と時間が掛かって、1971mピークより1時間を費やしてしまった。しかし南に開けた露岩の上に立つと、西の白根山から外山、そして戦場ヶ原と小田代ヶ原を前景にして男体山から太郎山への素晴らしい展望となっていた。さらに男体山の手前には三岳と刈込湖が間近い。この景色を眺めているだけでも、極楽、極楽であった。
シャクナゲの稜線歩きは私はやはり苦手である。今度は雪の消えた南斜面を辿って、登り進んだ。2193mピークが近づくと、山肌一面を残雪が覆い尽くしていた。
11時、2193mピークに到達した。私はここで初めての赤テープを木の枝に巻いて、帰路の方向を確実にしておいた。
右折して北東への高薙山への稜線を辿った。(この逆方向の稜線は温泉ヶ岳へと続いている)
やはり、締った残雪を歩くのは快適であった。ましてこの稜線にはさしたるアップダウンもない。10分で一番目のピーク、さらに10分で二番目のピークへ到達出来、益々高薙山頂が近くなってきた。ただピークからの下りは方向を誤る場合があるので、念の為に赤テープをそれぞれの下り方向の木の枝に巻き付けておいた。
いよいよ高薙山である。しかし山頂近くには残雪が無くなっていた。スズタケが密生して、私の前方を完全に閉ざしていた。両手でこれを掻き分けつつ強引に登り進んだ。
11時35分、待望の高薙山頂に到着した。頂の東半分を残雪が覆い、二等三角点標石をコメツガの木々が囲んでいた。そして幹には懐かしいKUMOさんの山名板が取り付けられていた。さらにもう一つの山名板もぶら下がっていた。
先ずはザックより水を取り出して、ゴクゴクと喉を鳴らしつつ飲んだ。実に美味しかった。
パンとおにぎりを一個づつ食べた後、記念のシャッターを押した。
今年もこの山頂に立った人達はいるのだろうが、この山頂はどの地点よりも遠くて、遥かなる頂であった。残雪期の登山がベストであろうが、今日はここまで5時間20分を費やして登頂した。実にきつい山行であった。
静かに時は過ぎて行った。私は正に至福の境地となっていた。
20分後、山頂を下った。2193mジャンクションピークを過ぎ、軟弱となっていた残雪斜面の下りでは、時々ブレーキがきかずに苦労した。滑って尻餅をつくだけならいいが、転倒して一回転し、雪に隠れていた木の根に脇腹を強く打ち付けた。あばら骨が折れたかと思える程痛く、思わず大きくうなってしまった。
さらに下った露岩の展望台。ここまで来て初めて、湯元温泉17時到着が確信出来た。岩に腰を降ろして休憩する
今まではやはり緊張したのであろう。これまでは、おにぎりがすんなりと胃袋へ入って行かなかったのに、今は嘘のように美味しく味わうことが出来た。さらにチキンラーメンも食べられた。
カメラを構え、心行くまで、ここの大展望に向けてシャッターを押した。
下山は鞍部近くより、尾根を辿って一気に刈込湖へ下った。昨日尾根に取り付いて藪漕ぎをして登頂を断念した地点。根曲がり竹は未だ残雪から開放されたばかりなので、下方へ倒れていた。下りには良いが、登りにはきつい。私が昨日断念したのは、正解であったと思った。
14時10分、刈込湖のほとりに降り立って休憩をとった。
一人静かに湖水を眺め、きつい高薙山行ではあったが、ここまで帰って来られて一安心だ。
今日の山行が無事に安全圏に到着出来た事に対し、私は神様に感謝したい気持ちであった。

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