2.中禅寺湖の南の展望台・社山    1826.6m


期間:1995.5.21メンバー:鈴木 隆. 鈴木カツ子 天候:快晴 地図:中禅寺湖
コースタイム:狸窪9:30―阿世潟10:00−阿世潟峠10:20-10:30−社山11:30-12:00―
阿世潟峠12:40−阿世潟12:55-13:10―狸窪13:30


山行記録:中禅寺湖南岸に三角錐になって聳える社山。とりわけ美しいのは冬の晴れた日、白く雪を纏った姿である。北風が湖水を波立たせる向こうに、すっと立ち上がったその美形を飽きる事無く眺める一時、私は何時の日かその雪山に登ろうと思っているが、今なおそれを果たせないでいる。
最初に登ったのは、1995年5月21日。シャクナゲが咲き、木々の新緑が柔らかく風に揺れて、心地良い日だった。
「山へ行きたい」と言う妻を案内して、中禅寺湖の南に聳える社山へ向かった。湖岸に沿った道は車一台しか通れない狭いもので、イタリア大使館の別荘もあった。狸窪手前に駐車し、阿世潟へ9時30分歩き出した.(現在は立木観音近くの歌ヶ浜駐車場よりは進入禁止となっていて、阿世潟までは約1時間の歩行タイムである)
男体山はその丸くボリュームのある全容を見せていた。今日は絶好の登山日和だった。ブナの大木もある樹林の中の道を歩き進んだ。やがて八丁出島を過ぎ、10時阿世潟に到着。そのまま左折して樹林の中を峠へと登り出した。
20分程で阿世潟峠に到達した。南に見えるの足尾の山は、今も未だ緑の自然は回復出来ず、黒々とした岩肌を見せていた。
峠を右折して社山へ続く、稜線の登山道を辿った。木々の背丈も低くなって来た。つい、いつもの私のペースで登り進んで行くと、下から「早過ぎる」と妻の声が届いて来た。
立ち止まり、妻の登って来るのを待った。
足尾側はカラマツ林となって、萌え出した新緑が美しい。さらに登り進むと、左はガレ場になって来た。墜落の危険もあり、ゆっくりと登り進んだ。松木沢の向こうに備前楯山や中倉山、庚申山が見渡せた。眼下にはシャクナゲがピンクの美しい花を咲かせて、私達を迎えてくれた。
小笹の中、急な登りが続いた。この辺りは鹿達の通り道なのか、丸い鹿の糞が多く見受けられた。益々展望が開け、眼下の中禅寺湖は紺碧の水を湛え、キラキラと太陽の光を反射していた。男体山は中禅寺湖を抱く様にして聳え立っていた。その昔、男体山の大噴火で、流出した溶岩が大谷川を堰き止めて、出来上がったという中禅寺湖。奥日光には欠かす事の出来ない風景、それが男体山と中禅寺湖である。西に目を向ければ、未だ雪を抱いた日光白根山を望む事が出来た。カメラを向けて、シャッターを切った。
笹原となった足尾側の展望も素晴らしい。良く見ると、黒焦げの木の株が点在していた。これは足尾銅山の煙害の名残であろう。銅山が閉山されて久しいが、今なお悲しい傷跡を留めているのだった。
急な登りが続いた。時々立ち止まって、妻を振り返り、余り離れ過ぎない様にして、登り続けた。前方にシラビソの林が見えて来た。それが社山の山頂であった。
峠より約1時間、社山の頂上に到着した。大きな岩の上に立つと、特に男体山の展望が素晴らしく、中禅寺湖を挟み、まるで対話するが如き近さを感じる位置にあった。しかし男体山は、まるで父親の様でもあり、兄の様にもなって、大きくその存在感を際立たせていた。
中央に三角点標石(1826.6m)があるが、そんなに広い山頂ではなかった。男体山をバックにして妻の登頂記念のシャッターを押した。コメツガが北斜面を覆い、その下にはシャクナゲが茂っていた。南側は笹原で松木谷の向こうには中倉山から庚申山、そして皇海山へと山並みが続いていた。
腰を降ろして、昼食にする。やはり展望を楽しみつつ、山頂で味わうおにぎりの味は格別で、何よりのご馳走であった。30分は瞬く間に過ぎていた。
帰路は温泉に浸かって汗を流す、いつもの楽しみコースである。どんどんと下って行った。つい妻との距離が30m以上も離れてしまった。
上から「待ってー」と妻の大きな悲鳴声が聞こえ、叫びながらかけ降りて来た。
私が通りかかった時は、林の奥へ逃げて行った猿の群。女一人の妻に対しては、歯を見せて威嚇してきたとの事。「あーっ恐ろしかった」と、ふうふうしながら言っていた。
猿は自分より弱い者に対しては、俄然態度が違ってくるとの事である。私と一緒に歩き出したら猿の群は遠ざかった。
ここよりは妻が先行して下り、まもなく阿世潟峠に到着、さらに阿世潟へ向かって下り続けた。
阿世潟の砂浜で、流木に腰を下ろして休憩する。中禅寺湖の寄せては返す波の音を聞きながら、対岸の男体山を飽きる事なく眺め、残っていたおにぎりを食べた。
少し八丁出島側へ戻った湖岸よりは、中禅寺湖で唯一の島、上野島が良く見えた。ここには男体山開山の祖、勝道上人の墓があると聞いていた。
その後社山には2回登ったが、1998年の4月4日、残雪の中を一人で社山へ登った時は感動した。山頂の三角点はすっぽりと、雪に隠されていが、とりわけ男体山の眺めは雄大で素晴らしく、感動の時を持つ事が出来た。

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