4.初冬を迎えた根本山   1199m    地図:沢入


期間:1996.12.1メンバー:CL北川.鈴木明子.鈴木隆 天候:曇り一時小雪
コースタイム:不死熊橋9:20―根本神宮跡10:35−鐘堂10:55−峰ノ平11:15−
根本山11:35-12:15−十二山12:35−熊鷹山13:00-14:00−不死熊橋15:10


山行記録:群馬県桐生市と栃木県足利市との県境に位置する根本山は江戸時代から信仰の山として地元の人達を始め、多くの人達に大切にされて来た山であり、関東百名山にも選ばれた山である。
栃木市で落ち合い、登山口となる桐生川奥の不死熊橋に着く。師走に入ったばかりの9時を過ぎた時刻なのに、沢コースには陽射しも届かない。木の葉を落とした木立の中に、清流がサラサラと流れていた。先頭はプラブーツ訓練の北川君が歩き、次に新人の鈴木明子嬢、最後尾は私だ。
根本沢を何度か渡りながら登山道を辿る。時に木の葉を踏めば、下は冷たい沢の水。傍らの丁目石や小さな石碑等をみれば、ここ根本山が古くは信仰厚い根本神宮、更に修験者の鍛錬の場であったことが判る。
魚止ノ滝を巻く沢を詰めて行くと二股になり、そこが神宮跡となっていた。右岸は群馬県、私達のいる左岸は栃木県と、各々に禁猟区の看板が立っている。
尾根に取り付き、登り着いた所には歴史を感じる鐘楼等が建っていた。金鎚で撞いた鐘の音は、カァーンと、澄み切った音色で山々へ響いていく。
ここからがこの山の最も急な所で、鉄鎖が連続しているが、鎖を頼らずに岩を掴んで登り、約15分、晴れていれば展望の良い一服根本、今日は曇天で残念だった。
峰ノ平には根本山の歴史を記した立て札が立っているが、江戸時代にはこの山で幕史の目を避けた賭場が開帳されていたことは記されていなかった。
尾根コースと合流して約15分の登高で、静かな根本山の山頂に到着する。早速シートを広げて昼食、コーヒーとうどんを温めていると、西から真っ黒な雲が迫り、小雪が舞い落ちてくるなり、やがて本降りになってしまった。味は良かったが実に忙しい昼食となってしまった。おまけにすっかり出発の準備が整った時に、雪は止んでいた。全く人騒がせな雪だった。
頂を下り、県境稜線を北に進み、根本神社跡の境内を横切って行く。平坦な足元を小笹が覆っている快適なものだ。十二山で氷室山への道と分かれ、右の熊鷹山へ続く道へ進む。
約45分の行程で熊鷹山に着くと、全く予期せぬ事態が待っていた。
山頂の中央には年月を感じる木製の櫓(現在は新しい木製の櫓に建て替えられている)が建っているが、その下でシートを広げて昼食を取っている(と言うより宴会中の)4人パーティがいた。先頭の北川君が驚きの声を上げて挨拶をしていた。
北川君から彼の古賀志山の神様とも主とも言われる浅香さんを紹介された。先ずはとビールをすすめられる。また、温かい「ほうとう風うどん」を勧められ、遠慮なく御馳走を頂いた。先程根本山の山頂で昼食を取った筈なのに、2杯も頂いてしまった。正にほおが落ちてしまいそうだった。そして紹介を受けた人は宇都宮ハイキングの橋田さんだった。本や会員の人からお名前は知っていたが・・・・。しかも昨夜の岩崎元郎氏の講演会で花束贈呈をされた方だっただけに、今日この熊鷹山頂でお会い出来るなんて夢の様な気がした。
雪の止んだ山頂からは、表日光連山から皇海山、鋸山、袈裟丸山等が間近い。そして岩登りのゲレンデ、古賀志山や宇都宮市街も望見出来た。
全員で記念写真を撮ったりして、私達はもう先(丸岩岳方面)へ進む事をやめてしまった。
山中での出会いは、「一期一会」であるけれど、今後岩登りの指導を願う事や、山行を一緒に等、楽しい会話が続き、1時間が瞬く間に過ぎていた。
下山は当然の如く一緒で、うすゆき新道から十二沢林道へ下ることにした。
思いがけない出会いの喜び、山行の素晴らしさに感動しつつ、スタート地点の不死熊橋へ戻った。改めて宇都宮ハイキングの橋田さん、池田さん、斎藤さん、そして浅香さんにお礼申し上げたいと思っています。

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