83〜85.梅雨の晴れ間の縦走は・庚申山〜鋸山〜皇海山
標高:庚申山1892m.鋸山1998m.皇海山2143.6m
期間:2003.7.5天候:快晴 単独行 地図:皇海山.袈裟丸山
コースタイム:銀山平8:15−一ノ鳥居9:00−鏡岩9:25庚申山荘10:00−庚申山11:00-11:10−鋸山12:55-13:05―不動沢ノコル13:30−皇海山14:15-14:50−鋸山15:55
16:00−六林班峠16:35−庚申山荘18:20−一ノ鳥居18:50−
銀山平19:25
山行記録:群馬県との県境にある日本百名山の皇海山と信仰の山庚申山、そしてその中間に位置する峰々の連続する鋸山。ここを日帰り縦走するのは結構きつい山行であろう。
今日は梅雨の切れ目で快晴が予報されていた。私は58歳最後の日、皇海山へ登ろうと以前辿った庚申山から鋸山経由の日帰り予定で、自宅を6時半出発した。
本来6時半には歩き出したいところであったが、我が家には私の出発を遅らせてしまう猫のチップ(ロシアンブルー)と犬のノエル(ビーグル)がいて、それぞれへの食事と散歩等をしてやらないと恨めしい目で睨まれてしまう。これらを付き合ってついついスタートが遅くなっていた。これは最近の私の悪い傾向でもあった。
前回は銀山平を6時半歩き出し、車に戻ったのはその12時間後であったから、今日はかなりハードな日帰り山行になるだろう。ましてスタートが8時15分となってしまったから、休憩時間を短縮しても最後はヘッドランプの世話になってしまうだろうと覚悟した。
銀山平には20台以上の駐車があつた。その多くは備前楯山か、庚申山へのハイカーのものである。まして皇海山への登山者は早朝のスタートか庚申山荘泊まりでのピストン山行が一般的であって、私のように遅い時間での皇海山日帰り山行は無謀の部類かもしれなかった。
庚申沢の水音を左に林道を急いだ。この林道を歩いて庚申山へ向かうのは4度目であったから、周囲の山々は見覚えがあったが、緑の美しさは格別であった。天狗ノ投石を過ぎると、朱の色も鮮やかな一ノ鳥居へ到着した。ここ迄45分、2グループ6人がベンチで休んでいた。
私はそのまま石段を登って、庚申山荘を目指した。少し登ると、木の橋のほとりにベンチが設置されていた。ここで一息を入れ、長袖シャッツを脱いで体温調節をした。
さらに登り進むと、大きな岩に直面する。鏡岩である、ここが山荘までの中間点である。
私はそのまま歩き続けて、やがて夫婦蛙岩、そして立ちはだかる岩の仁王門を過ぎる。道傍にはショウキランが咲いていて、これを先行していた男性グループが珍しげにカメラを向けていた。道はやや平坦になって山荘が近くなってきた。しかしここには猿の一団、10匹以上が私を威嚇するが如く道の両側の木にいて、私が通り過ぎるのを監視していた。ここ庚申山は庚申様を奉り、その主神は猿田彦の神、その使いはお猿様であるから、この山では神聖な動物なのであろう。私は猿の群れの下を静かに通り、山荘へと進んだ。
10時、庚申山荘に到着した。登山者達10人以上が笑い声を上げて休んでいた。私は休まず庚申山に向かい登り進んだ。
小さな鳥居の前には紅い花も鮮やかなクリンソウが咲き競っていた。岩壁の真下を左へ廻り込むと、上から水量僅かな滝が落ちていた。この庚申山を開いたのは、男体山をも開いた勝道上人であるとの事。その昔はこの滝に打たれて、修験者達が一心に修行を続けたのであろうか?さらにお山巡りも修行の一つであったろう。
初ノ門の先、胎内潜りからお山巡りコースが分かれる。私は未だこのお山巡りコースへ足を踏み入れていなかった。なるべく早い機会に出かけたいと思っていた。
ここは又、里見八犬伝の舞台にもなっている山でもあった。
鉄の梯子を登り、やがて稜線に立つことが出来た。さらに庚申山頂には10分程で到着した。ここは樹林に囲まれた山頂で展望は全くないが、中央に三角点標石が置かれていた。記念の写真を撮り、少し休んだ後、鋸山へと西に向かった。
僅かに歩くと展望の良い地点に出た。皇海山が大きく聳え、その奥には錫ヶ岳から白根山。さらには男体山を中心に日光の山々が連なり、手前には三俣山から派生するシゲト山、黒檜岳、大平山に社山へと中禅寺湖南岸の山々が鮮明だった。そしてこれから辿って行く鋸山の峰々が屹立して待っていた。
スズタケが道を覆い、ガスに巻かれると迷いそうな地点もあったが、稜線を落ち着いて忠実に辿り、歩き進めばよかった。
鋸山を東から御嶽山、駒掛山、地蔵山に薬師山と峰々を踏み進むと、大きな白山が待ち構え、これを登り越えると一気の下りは鎖場となる。最後の鋸山はガレ場というよりも大きく山が崩壊した斜面を見せていた。13年前、初めて来た時には心細いバン線が長く垂らしてあった。その後、山が崩れ落ちてしまい、一時は通行止めとなっていた。その後、長いアルミ製の梯子が設置してあったが、それも雪崩に落とされて今はない。
先行していた中高年男女4人のパーティに追いついた。聞けば私と同じ皇海山迄足を伸ばすとの事だった。
彼らの後に従い、梯子やロープを使い、やっと鋸山頂に到着した。既に13時となっていた。
遅くなってしまったが、ここで昼食のおにぎりを食べた。
鋸山からは皇海山は不動沢のコルへ下った後、登り返すコースで、その大きな山容には圧倒されてしまう。東を振り返れば今まで汗を流して来た庚申山からのアップダウンの連続する稜線を美しく眺める事が出来た。
ここから皇海山の往復は3時間も見れば充分であったが、さらに車に戻るには4時間半、ということは20時を過ぎるかもしれない。ヘッドランプは持参していたから、ここで皇海山を諦める事は出来なかった。
ここから皇海山へは私が先行させて頂いた。急峻な斜面を下る。若者が一人皇海山から戻って来て、挨拶を交わした。不動沢ノコルには30分で到着した。ここには二人休んでいた。静かな山となっていたので、未だ群馬県側の不動沢登山口へ通ずる林道復旧が完了していないのか、と思っていた。後日知ったが、7月1日に開通していた。ただ単に私が到着した時間が遅かったので、登山者は既に降りてしまっただけのようであった。
ゆっくりと笹原の中を進んだ後、樹林帯の急登へと進んだ。上から若者5人グループが降りて来た。再び静かな山となっていた。私のザックに付けた熊除けの鈴の音だけが、山中へと響き渡って行った。
鉄剣を過ぎて14時15分、誰もいない皇海山頂に到着した。ここに登って来たのは5度目であった。
私が初めてこの山頂に登ったのは1990年7月29日だった。頂上は見晴らしもなく、芝に横になって休んでいると、私の手や足や顔にまでトンボが次々と止まってきた。一人だけの静かな頂きだった。
今は鹿の為に樹皮を食べられ、立ち枯れてしまったクロベ等が多く、明るい山頂に変化していた、これは何とも悲しい事実であった。
やがて、初老の男性が登って来た。しかし彼はセルフで写真を2枚とっただけでそそくさと頂きを下って行った。いくら時間が遅いとはいえ、この山深い皇海山頂迄登って来て、1分もいないで降りて行く、何と寂しい登山でなないか?と余計な事を考えてしまう。
カップヌードルを温め、おにぎりを食べた。一人だけの山頂、静かに時が流れて行った。
やがて元気な女性2人とやや疲れた顔の男性の3人組が登って来た。男性1人は鋸山で待っているとの事。ここもやはり女性上位の時代で、現在のハイキングの世界そのものだ。
35分後、「お先に」「お気をつけて」の挨拶で山頂を下った。途中の不動沢のコルで先程のメンバーが休んでいた。
鋸山には1時間後到着。ここで最後の皇海山と庚申山とを写真に撮った後、カメラや地図をザックにしまった。既に男体山はガスに隠されてしまった。今から急ぎ下って、ランプを使わず降りられるぎりぎりの時間帯である。多分7時までには車に戻れないだろう。
根曲がり竹を掻き分け、六林班峠には35分で到着した。ここでは鹿の群れが食事の真さい中だった。
ここからの庚申山荘迄の下り。これが何んともダラダラした、単調でいやらしい山腹トラバースの道である。まして徐々に暗さを増してくる寂しい樹林の中を、1人だけで2時間も歩き続ける。時には鹿の踏み跡を登山道と間違えて踏み込んで、慌てて引き返した事もあった。
18時20分暗くなった山荘に到着。山荘前で休んでいた2人から「ごくろうさん」の声が掛かってきた。私は軽く会釈し、立ち止まる事なくそのまま歩き続けて、一ノ鳥居に向かった。
この下りはさらに暗さを増して来た。気持ちは駆け足であっても、石の多い道は危険であり、自分の足元を注意しつつ石を踏んで、30分で林道へ出た。
後は急ぎ足となって、林道を歩き続けた。空は黒い雲が低くなって、今にも雨が降り出しそうになってきた。急ぎ進む足元も、木立の中を進む時は特に暗く、やはり気持ち悪い。しかし面倒なので、結局はヘッドランプを使う事なく、19時25分銀山平に到着した。
今日の長かった庚申山〜鋸山〜皇海山への山行を、無事終了出来た。駐車場にはたった一台、私の車だけが寂しく残されていた。
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