80.高層湿原の美しい花々と懐かしい人との出会い・鬼怒沼山


鬼怒沼山:2140.8m   
期間:2003・6・22   天候:快晴 単独行 地図:川俣温泉.三平峠
コースタイム:女夫淵5:30−八丁ノ湯6:25−加仁湯6:35−日光沢温泉6:45-6:55―
オロオソロシノ滝展望台7:30―鬼怒沼迄1.5K8:00−
鬼怒沼8:35-8:45−鬼怒沼山9:35-9:45−物見山10:35-10;45―
鬼怒沼11:00-12:00−日光沢温泉13:50-14:00―女夫淵16:10


山行記録:鬼怒沼は鬼怒川の源流である。そして日本一標高の高い高層湿原で、鬼怒沼山はその奥に静かに佇んでいる山であった。
昨日は中倉山下山後、いろは坂を登り、湯元温泉にて温泉入浴をした。その後今日の食料調達をしようと思ったが、国立公園特別区では食料品店はない。やむなく戦場ヶ原三本松の土産店で、ミルクパンと焼きそばを買い求め、山王峠を越え女夫淵へ車を走らせて車中にて泊まった。
朝4時前に鬼怒沼へと向かう、ハイカー達の賑やかな話声で目が覚めた。山の会の、奥鬼怒調査山行は宇都宮4時30分出発予定であったから、この女夫淵は6時出発予定、時間はまだ2時間もあった。しかし、一度目が覚めてしまぅては、明るい朝の光の中で再度眠れる自信はなかった。
結局、朝食に焼きそばを食べて、5時30分鬼怒沼へと歩き出した。この道は手白山へ登った、一昨年5月12日以来であった。一人加仁湯迄歩き続けて、手白沢温泉へと左折し、手白沢温泉経由で手白山へ登った。さらに加仁湯からは昨年の5月25日以来である。あの時は友人と3人で残雪の中、鬼怒沼からさらに物見山へと足を伸ばした。この時は加仁湯の名物案内犬「アレックス」が喜々として私達を案内してくれた。
女夫淵を歩き出して約30分後、一人の男性が走るようにして私を抜き去って行った。余りの早いスピードであっという間に視界から消えてしまった。後姿が誰かに似ていると思ったが、その時は思い出せなかった。
一時間後、八丁ノ湯に到着。どこの温泉地とも変わらない浴衣姿の宿泊客が多い。散歩の途中で路傍の栃の木の若木を抜いて、土産にしていたのはいただけなかった。さらに10分後、加仁湯到着。ここは正にホテルであって、秘境の面影は無くなっていた。
さらに10分後、温泉郷最奥の日光沢温泉に着く。この温泉だけが昔と変わっていない。登山者優先の温泉で、登山者に水場を提供してくれ、ここで一息を入れた。
日光沢温泉より30分程で、オロオソロシノ滝展望台に到着した。しかし、ここには6人組が我が物顔で占拠して、ザックが進入を拒み、入り口は足が塞いでいた。とても休む気にもなれなかった。
さらに急登が続き、これに耐える事30分、後は緩やかな勾配に変化し、シラベ、アスナロ、コメツガ等の暗い樹林の中を歩き進んだ。鬼怒沼まで1.5Kの標識が立っていた。時計を見たら8時丁度、歩き始めて2時間半が経過していた。
やがて前方の梢の上に明るい空が見え出して来た。8時35分鬼怒沼の南端に到着した。昨年来た時は、残雪が多く、僅かにショウジョウバカマだけが咲いている、寂しい湿原であった。今日はチングルマの白い花に、ピンクのヒメシャクナゲにショウジョウバカマ。さらにはタテヤマリンドウも咲き競っていた。
私は花々を愛でつつ、周囲の大展望に感激の目を向けた。背後には日光白根山を右に、左には根名草山と大嵐山が見え、前方には右に鬼怒沼山前衛のピークと、左には物見山を眺望出来た。ゆっくりと木道を辿って行った。こんな素晴らしい山上の楽園なのに、この沼を見て、直ぐに下山してしまう人達も結構多い。
さらに木道を辿って行く。ワタスゲが風に揺れ、左の奥には尾瀬の燧ケ岳と会津駒ケ岳が白く残雪を纏って姿を現した。
すると、前方からニコニコと笑顔を見せて近づいて来た人がいた。麓で私の事を猛スピードで追い越した人だった。その人こそ山の会の元会員、大先輩である市村さんだった。
1998年正月の八ヶ岳冬山合宿や2000年元旦の富士山頂等、大変お世話になった人であった。挨拶を交わし、久し振りに山の事等、立ち話しをした。「どうも最近は運動不足でね。」とは、私の事を猛スピードで追い抜いて来たのに、何と言う人であろうか。やがて「お元気で」と左右に別れた。
私は目的地である鬼怒沼山へ向かった。木道が終了すると、T字路になり、右は尾瀬へ続く縦走路、左は物見山経由大清水への道である。右折した道はきれいに刈り払われた歩き易い道となっていた。鬼怒沼より北方に見えていたピークを右より巻いて、その背後に降り、私の目の前に迫る山、それが鬼怒沼山である。尾瀬へ続く縦走路はこの鬼怒沼山をトラバースして北へと続いていた。
以前来た時は、鬼怒沼山へはかすかな踏み跡を辿って山頂に立ったが、今は標識が立てられ、尾瀬への縦走路よりも歩かれた道となっていた。当然ここを登る人の数が多くなったからであろう。登山口には見覚えのあるKUMOさんの小さな山名板が木に括られていた。
以前のイメージと違い、標識や赤布、しっかりした踏み跡等、何の不安もなく登れた。鬼怒沼山頂には縦走路より20分で登れた。三等三角点標石が中央に置かれ、南には日光白根山が望め、梢越しに燕巣山と四郎岳をも確認する事が出来た。そして頂は誰もいない静寂の世界となっていた。
10分後、山頂を下り、次の目的地、物見山へと元の道を戻った。
物見山へは6人の先行者がいた。彼らは大清水よりバスで沼田へ向かう東京の登山者だった。残雪は僅かにあったが、昨年春、友人と3人で来た時は、全山を白く雪が覆っていたのが懐かしく思い出した。
分岐点より30分弱で到着した物見山頂、樹林に囲まれ、全く展望は得られなかった。さらに小さな羽虫が多く、これが時々肌を刺してくるのは辛い。ここも10分程で早々に退散した。
今日は山の会の定例山行、奥鬼怒調査山行の参加者は6名との事だったが、既に鬼怒沼で昼食を取っている頃だろう。
私は沼に戻り、さらに小屋近くに咲く水芭蕉をカメラに納めた。南に木道を進むと、木道脇のベンチで休む山の会の一行を見つけた。
挨拶の後、隣に腰を降ろし、私も昼食を取った。出発は12時との事だったから、約1時間もの間、のんびりと沼や空を眺め、時に目を閉じてゆったりとした時を過せた。こんなのんびり出来た楽しい一時は何時以来のことだったろうか?
帰路は山の会員達と一緒に下った。高村会長より一時踏み荒らされた湿原の、10年を掛けての復元状況を聞き、今更ながら、この素晴らしい鬼怒沼湿原の自然を守る大切さを感じる事が出来た。
一人より7人の方が、賑やかで楽しい。あっという間に、日光沢温泉に降りてしまった気がした。
さらに加仁湯よりはスーパー林道の調査を兼ねて歩き下った。今までの登山道と違い、ホテルのマイクロバスが行き来する砂利道で、車が通ると、その度にもうもうたる砂埃であった。これは調査と言うよりも、苦行をしているような山行となっていた。
2時間近くも掛けて女夫淵の駐車場に到着した時は、埃まみれの状態で心身ともに疲れてしまった。下山後、今日は特に温泉入浴が、一番の楽しみとなっていた。

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