89〜90.ガスに包まれた鶏頂山に釈迦ヶ岳 
鶏頂山1765m釈迦ヶ岳1794.9m
期間:2003.7.27 天候:曇り後一時小雨 単独行 地図:川治.高原山
コースタイム:鶏頂山登山口P8:25−弁天沼9:25−鶏頂山9:55-10:05−
釈迦ヶ岳10:45-11:00―中岳11:25-11:35−釈迦ヶ岳11:55−
弁天沼12:45-12:55−鶏頂山登山口P13:25
山行記録:塩谷町の北に位置し、大きく関東平野を包み込む様な姿の高原山。日本三百名山にも選ばれていた。全体は高原山と言われていてもその名のついたピークはなく、最高峰の釈迦ヶ岳には一等三角点が置かれているが、こちらはお釈迦様の仏教で、西に位置する峰の鶏頂山はさらに信仰厚い猿田彦を奉る神教の山であって、別々の山として考えてみたい。今市市生まれの私にとって、この高原山は幼い頃より見慣れていた山である。特に冬に入り、白く雪を抱いたその姿は雄々しく、北風は冷たくこの山を駈け降りて来た。そして、いつか登ろうと思っていた山だった。
そんな私だったが、スキーに山の北麓へは何回も出かけていたにもかかわらず、高原山の鶏頂山から釈迦ヶ岳へと登ったのは、さらに後になってからだった。
初めて登ったのは91年11月10日。妻と二人で鶏頂山スキー場近くより登った。赤い鳥居を潜り、笹の中を少し登るとスキー場へ出る。しばらくはこれを辿った。途中ポリタンクを4〜5個も背負って下って来る人達に出会った。難病に効ありと言われる鶏頂山の湧水を汲んで来た人達だった。私達が単純に鶏頂山を登りに来た事を知り、怪訝な顔をしていた。(現在、取水は禁止され、下山路もロープが張られてしまった。)
鶏頂山の山頂には立派な神社があり、東に釈迦ヶ岳の大きな山姿を谷越えに眺める事が出来た。さらに汗をかきつつ登った釈迦ヶ岳山頂、ここには一等三角点が置かれていた。その広い頂に立つと、関東平野を一望に出来、青空の下に鎮座する大きなお釈迦様には少々驚かされてしまったが、妻と二人で晩秋の高原山を満喫出来た日だった。
ところが残念にも、その時の記録は写真が少しあるだけで、コースタイムのメモすら残されていなかった。その後、2回も登っていながらも記録はない。しかし、いつも天候に恵まれて、山頂での展望を楽しみつつ、おにぎりを美味しく食べていた。
昨日は悪天候の中、那須岳へ出かけた。今日は晴れとはならないものの、降雨の心配はなさそうな空模様、と思って家を出た。しかし男体山や高原山は上部のみ雲の中となって、ピークを隠していた。麓と違って山頂には未だ雨雲が残っているらしい。
8時25分歩き出した。駐車場には私の他に車はなく、どうやら静かな山登りが楽しめそうだった。15分も登るとスキー場へ出て、これをさらに30分近く登って行く。前方には鶏頂山のピークが見えて来た。リフト終点となった地点より、いよいよ本格的な登山道へと入って行く。ここ鶏頂山は信仰厚く、現在も地元の人達に大切にされている山だった。
広い林道の様な道を辿り、やがて弁天沼に到着。歩き出して丁度1時間が過ぎていた。弁天様を奉る石祠と鶏頂山の信仰を物語る石碑が林立していた。ここより釈迦ヶ岳へのコースが分岐している。さらに鳥居を潜り、鶏頂山頂を目指した。
昨日の雨に濡れた、笹の中の登山道が続き、私のシャッツやズボンはたちまち濡れてしまった。雨は降ってはいないから、そのまま登り続けた。
やがて稜線に到着し、さらに5分も登ると立派な社が建つ鶏頂山頂に到着した。猿田彦を奉る神社の階段に腰を降ろし、若者が一人休んでいて、挨拶を交わした。
残念ながら山頂はガスに包まれ、期待の展望は得られなかった。見覚えのある山名板が下がっていた。「小山のナナさん」が吊るしたもので、これは三岳等で見かけた手作りの山名板だった。今は何も見えない山頂であったから、記念の写真を2枚撮っただけで、若者に続いて山頂を下り、釈迦ヶ岳を目指した。
次のピークとの鞍部、ここがかつて「鶏頂山の水」を取水する為下って行った斜面で、初めて来た時、妻と二人で話しの種にと、ここを降りて水を汲んだが、僅かに鉄の臭いがした。現在はロープが張られ、下山禁止となっていた。
木の根を掴みつつ登ると、御嶽山神社が奉られた小ピークへ出た。さらに一度下ると、正面に釈迦ヶ岳の大きなボリュームある山容が現れて来た。いよいよ最後の登りである。
道は雨水に大きく削られて、足を上げるのに苦労しつつも、順調に登り進んだ。やがて明神岳への分岐点へ到着した。今は笹がきれいに刈り払われ、登山道が整備されている様だ。
昨年の6月1日、仕事で参加の遅れた私は、先行して釈迦ヶ岳より下って来た中学時代の友人達と、ここで合流して明神岳へ登った後、スキー場へ下った。
その時の友人の中に、今は体調を崩してしまった友もいた。早く全快して約束の剣岳を案内したいと思っている。
さらに登ると、八方ヶ原、剣ヶ峰経由の登山道が合流して来ると山頂は近い。大きな笑い声が届くと、広い釈迦ヶ岳の山頂に飛び出した。時に10時45分、歩き出して2時間20分、先ずは順調だった。
いつもの通り、先ずは山頂に敬意を込めて、三角点標石へのタッチをしようと、キョロキョロ見れば、男性がこれに腰を降ろして夫婦で食事の準備中だった。「失礼します」と言ってこれに触れるべくその人にどいて頂いた。ところがその人は私の事をじっと睨んでいる、と視線を感じた。「もしかして鈴木さん」と言うので顔を上げると、何と何回か山をご一緒した事のある宇都宮ハイキングクラブのIさんだった。
「これはこれは」と挨拶を交わした。スパンティークで亡くなられた斎藤さんの遺体収容の事や、那須鬼面山の登山道等を聞かれてこれに答えた。
Iさんは西平岳、中岳経由でこの山頂に登って来たとの事、今の山頂にいる人達はそのコースを登って来た人ばかりの様だ。大きなお釈迦様の像の前で記念写真のシャッターを押して頂き、さらには美味しいトマトまで頂いた。雨雲がドンドン下って来て、雨が今にも降り出しそうになって来た。前回断念していたので、中岳までのピストンをして来ようと、釈迦ヶ岳を南へ下った。良く刈り払われた登山道をドンドン下り、さらに尾根を登り返すと、見覚えのある中岳に到着した。ここにも「小山のナナさん」製作の山名板が木に吊るされていた。
今日も展望はなく、雨が降り出しそうになって来た。展望はまたしても次回の楽しみとなってしまった。
記念の写真を撮って、わずか10分で釈迦ヶ岳へと登り返した。山頂直下まで来た時、雨が降り出して来た。カメラを濡らしてはならないので、防水袋に入れて、ザックにしまい、さらにザックカバーだけして釈迦ヶ岳を登った。
下を向いてゆっくりと登って行くと、Iさん夫婦が降りて来て、「お気をつけて」の挨拶をして別れた。
11時55分、釈迦ヶ岳山頂に到着した。しかし雨の中では休む気にもならず、そのまま下山した。昼食は未だだったが、雨中では美味しいとも思えず、さらに下り続け、約1時間後、弁天沼に戻った。既に雨は止んでいた。ベンチに腰を降ろして、遅い昼食を取った。腹がグウグウなっていただけに全てが美味しかった。
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