21.残雪踏んで葛老山  1123.7m


期間:2002・3・2   天候:快晴  単独行  地図:五十里湖
目的:残雪の栃木、山巡り
コースタイム:宇都宮6:30―湯西川温泉駅P8:10−送電線鉄塔下8:40-8:45−
      葛老山9:45-10:00−湯西川温泉駅P11:30


山行記録:栃木の藪山も雪はしまっただろうと、歩き易さを期待し、今年初めて、本格的な残雪の山歩きに出かけた。栃木の山には、登山道のない藪山もかなり多い。これらは、やはり残雪を利用して登った方がベストだろう。そしてある程度は、ある山域へ集中的に登った方がより深く、その山域のことを感じ取れると思っていた。前回登った山を、別の山から眺め、その時の感激をさらに味わう贅沢にもありつけるし、なにぶん、山間部の道路知識や、凍結状況の把握等プラス面は多い。
先ずは五十里湖周辺の山々から登り出そうと思い、その手始めの山を湖の西に聳える葛老山とした。
春未だ早い3月初め、湯西川温泉駅前広場片隅には、除雪した雪が3m程積まれていた。私は他車の邪魔にならない様、奥の砂利敷き部に駐車し、身支度を整えた。
先ず目指すのは、尾根の中間地点に建つ送電線の鉄塔である。標高差約200mを一気に登って行く。ここは葛老山の北斜面であり、残雪も多いだろうからと苦労を覚悟し、木につかまり、薄い藪を登り出した。
登って行くと、残雪は意外と少なかった。この冬は、暖冬で積雪も少なく、さらに溶け出すのも早いようである。小さな尾根を登り続け、40分で鉄塔到着。ここは日当たりもいいので、既に雪は消えていた。一息を入れた。五十里湖が緑色の水を湛えて、その畔の国道には、小さくなった車が行き来していた。ここまでは鉄塔の巡視路が登っているはずだったから、注意して捜せば、もっと楽に登れたかもしれない。
広い尾根には、結構しっかりした踏み跡が続いていたが、すぐに雪に隠れてしまった。木には先人達の赤布や、赤テープが巻かれ、それを辿って行く。東側は急峻な斜面である。これが江戸時代に起きた山崩れの名残であろう。川をせき止め、会津西街道を、湖底に沈めてしまった。参勤交代の時、ここを使用していた会津藩は、やむなく那須の大峠を通過する、会津東街道を開いたとのこと、さらには、せき止めた土砂の取り除きを命じられた藩士が、藩費を多く使いながらも、これを果たせずに、切腹をしたこと。結局はその後やって来た台風によって、大量の土砂は流れ去り、元に戻ったという。今は、ダムが川を堰きとめ、静かに水を湛えていた。
桧の緩い樹林帯を歩き続けると、やがて一気の登りに変化する。残雪は20cm程で、滑り易く、木に掴まり、ピッケルを突き立てて、体を上へ、上へと引き上げて行く。さらに狭い尾根を登り続け、大汗を流し、息が乱れると、東より尾根が合流し、広い稜線に到着した。
向きを西に変える。広い稜線は、葉のない広葉樹林帯で、見通しが良く、気持ち良い緩やかな登りであった。雪はたっぷりあり、ワカンを持参してないのが悔やまれた。ペースは一向に上がらなかったが、赤薙山、女峰山等日光連山の裏側の、白い山並みを楽しんだ。ピークまでは、後250mといったところだろう。初めての山域ではあったが、何の不安も無く、快適な残雪歩きを楽しんだ。
ゆっくりと登って、9時45分、広く平らな、葛老山頂に到着した。三角点は雪の下に隠れたままであったが、木には小さなRK氏の掛けた山名板があった。先ずはザックを降ろし、汗をぬぐった。北の樹林越しに、明日登る予定の高瀬山が望めた。コーヒーを飲んで一息入れた後、四方に向かってカメラを構え、シャッターを押した。私の大好きな一時であった。
15分程、山頂ですごした後下山した。自分のトレースに従って、下っていくだけに、コンパスを取り出すことも無く、のんびり歩いて1間後、湯西川温泉駅に降りることが出来た。たいした擦り傷もなく、満足な山行を終了した。鬼怒川温泉の岩風呂にて汗を流し、家路についた。

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