44〜45.紅葉の日留賀岳とカメラ置き去りの鹿又岳


     日留賀岳1848.8m  鹿又岳1817.1m 単独行
期間:2002・10・13〜14天候:13晴れ・14小雨後晴れ地図:日留賀岳.塩原
   コースタイム:(10・13)宇都宮5:45−日留賀岳登山口小山宅7:30−日留賀岳11:30―12:00−塩那スカイライン13:30−13:35−鹿又岳14:15−14:30−塩那スカイライン15:00−長者平16:00幕営
       (10・14)長者平5:50−鹿又岳7:10−7:15−長者平8:10−8:20−
       土平11:50−12:00−小山宅12:45


山行記録:(10・13)
奥塩原から見上げると、東に鋭いピークを誇示している山が見える、これが日留賀岳である。その西に見える鹿又岳は麓からでは判断しにくいが、それだけ山の奥の奥に位置していた。日留賀岳へは今回で4度目である。直近では今年の5月末に来たが、その時はギョウジャニンニクが緑葉を広げ、山頂では360度の大展望を楽しんだ。帰路は比津羅山へ登ったが、山頂近くで夫婦ずれと挨拶を交わした。何と道路地図を頼りに道なき山を登っていたのには驚いた。西に少し下った地点の三角点標石を案内してあげたが、彼等も栃木の山巡りをしていて、既に120を登っているとのことだった。
今日はテント持参の山行である。出来れば、鹿又岳や長者岳も登ろうと計画したので、ザックは重く、私の足は遅々として進まなかった。
30分で鉄塔下を潜り、比津羅山裾を巻く林道を終点まで歩いて左折し、唐松の林へと入って行った。平坦な道はやがて向きを東へと変える。
さらにすすむと右手の尾根を目指して斜面をトラバース気味に辿って行った。尾根にはブナの大木が多く黄金の葉が眩しかった。きつい登りであったが、20分も耐えると、道はやや東の斜面を辿り、そして再び尾根に出た。右前方の樹林越しに日留賀岳山頂が見えて来た。重荷でペースが遅い為か、いつもよりも遠くに聳えて感じた。東の谷越えには長者岳が見え、ほぼ同じ高さになる、その麓を塩那スカイラインが巡り、さらに北へと伸びていた。
ブナの美しい道は北へとやや向きを変える。今にも朽ち果てそうな木の鳥居を潜り、少しのアップダウンを繰り返しつつ登り進んだ。春にはギョウジャニンニクの群生している地点を過ぎ見通しのよい尾根に飛び出す。東に塩那スカイラインを辿って眺めると、鹿又岳や大佐飛山を望見出来た。
やがてコメツガ等の樹林の中へと進むと山頂は近い。頭上から笑い声が届き、11時半日留賀岳山頂に到着した。登り出してジャスト4時間、やはりザックは重かった。四方の山を見回しつつ、4人の先客が談笑する頂、ここには石の祠が奉られていた。
東の鹿又岳に大佐飛山。北に横川の牧場と七ヶ岳。西には荒海山から台倉高山へと福島との県境稜線が続き、日光の山々をも望めた。南は長者岳の先に那須野ヶ原が広がっていた。
私がこれから辿る北から東への稜線、塩那スカイラインの先に鹿又岳を目で追いながら、おにぎりを味わった。私以外はこの日留賀岳をピストンする人達である。何故道のない藪の中を歩いていくのか?と変な顔をしていた。
30分は瞬く間に過ぎていた。覚悟を決めて、山頂を下り藪の中へ突入した。時々薄い踏み跡があるものの、竹やハイマツが行く手を遮り、枝が顔を打った。救いは快晴であるので、方向確認が容易なことであった。しかしそれでもシャクナゲやハイマツの中では苦労してしまう。
1時間後、北の1830mピークに到着した。ここから東に向きを変え、塩那スカイラインへと下り続ける藪の稜線である。下りの注意は背丈を越える藪の中で、稜線をそれ、南の斜面へ下り過ぎないことだった。知らないこととはいえ、ここを登り返して、小山宅の駐車場に戻る計画の無謀さを痛感した。帰路は塩那スカイラインを塩原へと歩き、小山宅まで歩き続ける計画第二案に変更した。ここは残雪時が理想であろう。
徐々に塩那の道が近づき、振り返れば日留賀岳は高く聳え、遠くなっていた。
苦労した藪漕ぎも膝の高さに変化してきた。ザックを投げ出し、パンとコーヒーを胃袋へ流し込んだ。
13時30分、鹿又岳への稜線を大きく廻り込む塩那スカイライン1700m地点に到着した。休憩の後、サブザックに水とビスケット、カメラを入れて次の山、鹿又岳を目指し砂利道を歩き出した。
この道には塩原と板室、それぞれのゲートからの距離が明示されていた。
鹿又岳へ続く稜線は展望抜群といった感じで青空に続いていた。緩やかなその稜線は緑の笹で覆われ、さほどの藪漕ぎはなく見えた。西側のピークから辿って行こうと、道をはなれ斜面を登り出した。
今までの笹の多い藪と思っていたが、ここは笹だけでなくシャクナゲ、ユズリハ、ハイマツ、ナナカマド等の混生する手強い藪だった。とにかく20分も耐えれば稜線に着けるはずと、自らを奮い立たせてどうにか稜線に立った。しかし遠くから見えた緩やかな緑の稜線、来てみればその思いの甘さをイヤという程知った。
今登った斜面と変わらない藪が待っていた。特にシャクナゲ、ハイマツが密生した稜線で、南斜面には背丈を越えた藪が続いていた。とにかく鹿又岳のピークを目指した。
頬を打たれ、体を跳ね返されつつ登り進んだ。20分後、1846mピークに到着した。南より長者岳からの尾根が合流していた。さらに50mさがった鞍部はもっと密で強固な藪になっていた。もう必死である。気が付けば高度計付きの腕時計がなくなっていた。
どこで落としたのか、この稜線のどこかにあるはずだが、とても捜す気も起きなかった。
結局、山頂への藪との戦いを再開した。14時15分、鹿又岳山頂に到着した。道からは40分、強烈な時間だった。とにかく疲れた。(時間は携帯電話で確認出来た。)
鹿又岳の山頂は大佐飛山と日留賀岳の中間に位置して、展望抜群、深山の趣を持った素晴らしい頂きだった。見渡すと山頂を巡って、塩那スカイラインが通る、山々を縫うその道たるや、削りとった山肌は痛々しく、そして崩壊が迫っていた。
膝程の藪が覆う山頂には標識もヤグラもない。笹を掻き分けて、やっとハイマツの近くに三角点標石を見つけた。ブドウパン一個をリンゴジュースで味わった。
東に大佐飛山と塩那スカイラインを辿って、男鹿岳を望み、西に今日辿って来た日留賀岳からの稜線を振り返った。さらに南には明日登る予定の長者岳を見下ろしたが、ここから見れば、尾根の小ピークといった感じで迫力はなくなっていた。
15分後、北の塩那道を目指し、直線的に下って20分で着いた。さらに歩いて大型ザックのデボ地点、稜線で道が大きくカーブする所に戻った。
一息を入れた後、再び重いザックを背負い長者平へと歩き出した。1時間の砂利道を歩き続け、長者平に着いた時は、既に日は大きく傾いていた。急ぎテントを張り、炊事を始めた。
(10・14) 
昨夜は星空も見えたのが、起きてみれば日留賀岳の山頂はガスに包まれていた。濡れた藪を漕いで行くのはやはり気が重く、今一つ気乗りしない。ここからは1時間も頑張れば長者岳の山頂を踏むことが出来そうだった。朝食を取り、急ぎテントをたたんだ。サブザックを担ぎ出発しようとして、念の為カメラを確認すると、これが見つからない。昨日、鹿又岳の山頂で記念写真を撮ったのが最後だった。もしかして、サブザックを大型ザックに詰め替えた時に置き忘れたのかもしれない。あの地点から、ここまでは1時間掛けて降りて来たのだから、空身ならほぼ同じタイムで行けるだろう。長者平は標高1480m、塩那道のカーブ地点は標高1700m、ほぼ220mの登りである。
約1時間、砂利道を歩き続けカーブ地点に到着した。しかしカメラはなかった。あとは鹿又岳の山頂しか考えられなかった。もう再度登るしかない。霧雨が吹きつける藪の中を、真北の道から一気に山頂を目指した。20分でこれを登りきった。
カメラは小笹の中に、雨に濡れ寂しげに私を待っていた。「良かった」私はカメラに対して、何か申し訳ない気がした。昨日は素晴らしい展望だったが、今朝は冷たい雨が吹きつけていた。カメラを持って、早々に下山した。
再び、砂利道を歩き続け長者平に戻った。
雨に濡れた藪を眺めると、どうにも登ろうの意欲がなく、意気地なしの男になっていた。未だ8時を過ぎたばかりだから、時間的には問題ないのだが、7時間以上歩いて車に戻らなければならない。宇都宮での雑用もあったので、後日を期して今日の長者岳山行を中止した。アスファルトの塩那スカイラインを歩き始めた。
土平まで3時間30分掛かった。休憩の後、再びアスファルトの道を歩き続けていた。ここはつづら折りの急坂となって歩きにくく辛いところだった。幸運にも通りかかった埼玉の人が車に乗せてくれ、さらには小山宅までも送ってくれた。ただ感謝するばかりであった。
(その後、3回も長者岳の登山計画をしたが、仕事や天候等の為、2002年での登頂は果たすことが出来ずに終わってしまった。)

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