73.早や残雪は消えてしまった・日加倉山   1368.6m


期間:2003.5.4  天候:快晴  単独行  地図:川俣湖
コースタイム:オホッパ沢林道1000m地点路肩7:50−沢20m滝8;25−
1250m尾根8:50−日加倉山9:40-10:05−
1291mピーク10:50−1050mオホッパ沢11:10−
林道1000m地点路肩11:30


山行記録:栗山村土呂部の西、オホッパ沢の奥に位置する日加倉山は、訪れる人もほとんどない静寂な頂であり、藪漕ぎも予想され、出来れば残雪期に登るべき山の一つだった。
残雪が益々溶けて少なくなっていく。その分藪が立ち上がり、行く先を塞ぐ。この日加倉山は標高1400mにも満たない山だ。今年の4月29日に川俣の平五郎山に登ったが、既に僅かしか残雪がなくなっていた。今日の日賀倉山は当然なくなっていると思えた。
自宅を6時出発。栗山村青柳で北上し、土呂部へ向かった。岩魚の釣堀には既に釣り糸を垂らしている人が、10人以上も見えた。その少し走った左側には水芭蕉が咲いていた。ここでオホッパ沢林道を左へと入って行った。どんどんと奥へと車を走らせると、林道はオホッパ沢で崩落して通行出来ない。私はその手前100m、標高1000m地点の林道路肩に駐車し、7時50分歩き始めた。
時々道型を見せるオホッパ沢に沿った林道、しかしそれは河原歩きと余り変わらず、その林道が何処まで伸びて終了するのかも判らなかった。
35分後、目の前に10mを越す空滝が現れた。これを登る事は出来そうにない。私は20m程引き返し、北の尾根を登ろうと、岩稜帯に張り出した支尾根に取り付いた。
谷を離れる地点が最も危険地帯で、足元は岩屑がゴロゴロして不安定だった。やっと木々の茂る支尾根へ到達し、さらに急傾斜の中をあえぎつつ、木を掴んで登り進んだ。しかし私はすぐ息が荒くなり、肩で呼吸する状態となってしまった。今日は7月の気温と同じ、27℃になるとの天気予報だったから、これもその高気温が原因しているのだろうが、少々風邪気味の体調の悪さが最大の原因だ。先ずは休憩として、水を飲み、シャッツを脱いだ。
さらにゆっくりと登り進んだ。救いは藪がほとんどない事だった。8時50分、標高1250mの尾根の小ピークへ到達した。ここまでオホッパ沢より約150mの登りだった。
尾根は鹿達の通り道で、一本の踏み跡が続いていた。ここで左折し、向きを西にとった。
これは日加倉山頂へ続く尾根であったが、どこがその山頂なのか、ツツジやヤシオツツジの樹林が邪魔して見通す事が出来なかった。
尾根はやがて一旦下る地点になった。どうやら日加倉山頂は再び登り返した尾根を、北から南へと廻り込んだピークらしい、と思えたがその姿は見えなかった。地図で周囲の地形とを見比べ、そう確認出来た。
尾根の方向を変えるポイントには下山時に迷う事のない様に、小さく赤テープを木の枝に巻いた。今日は快晴で迷う事はないと思うが、一応念には念を入れた。
やがて前方のピークが最高地点らしく思えた。そこには紅白のポールに旗が垂れて見え、これは本で知っていた日加倉山頂で間違いない。9時40分、山頂に到着した。西側に山名板が二つ立っていた。
ここからは北東の土呂部牧場と前倉山が眺望出来た。あの山へ登った時はガスの中だったから、この日加倉山を見る事は出来ず、どんな山の姿なのか知らなかった。
腰を降ろし、パンを一個口へ入れた。南の日光、赤薙山から女峰山が樹林の向こうに見えたが、残雪は少なくなっていた。
北に見える山頂部の平坦なのが田代山、その西が帝釈山に台倉高山だった。
静かに時が過ぎて行った。昼食には未だ早く、食欲も余りない。飴玉を口に入れて25分後、山頂を降りた。
登って来た道を辿って下るだけなので気も楽だった。西方が開けて、先週登った平五郎山が見え、これをカメラに納めた。
ピークに松の緑が生い茂った1291mピークへ向かった。尾根にはヤマツツジ、ドウダンツツジにヤシオツツジ等の小木が密生していた。今は葉より先に咲く、アカヤシオツツジが美しく峰を彩っていた。
下りは登って来た支尾根よりもさらに東へと尾根を歩いた。1291mピークでは日加倉山頂が見通せた。さらに南には女峰山の西に小真名子山、大真名子山が大きく聳えていた。
1291mピークよりの下りは快調だった。さらに下り、谷を見下ろせる所より笹が密生して、これはここを登るとかなり苦労しそうだ。
11時10分、オホッパ沢へ降り立った。ここには堰堤があり、竣工は平成6年と記されていた。後は周囲に目を配り、タラノメやタカノツメの、木の芽取りに熱中しつつ車へ戻った。そして昼食は水芭蕉を眺めつつ食べる事にした。

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