65.静かなる一等三角点峰・羽賀場山   774.5m


期間:2003.3.2  天候:曇り後晴れ  単独行  地図:文挟
コースタイム:(羽場山)長安寺10:25−第一鉄塔10:45−第二鉄塔11:15−主稜線
11:25−羽賀場山11:40-12:00−主稜線12:15−第二鉄塔12:35−
長安寺12:50


(かまど倉)林道分岐点P13:25−林道終点13:40−鉄塔13:50−かまど倉14:10-14:30−林道分岐点P15:05
山行記録:鹿沼市街を抜け古峰ヶ原へ向かうと、大芦川に沿ってかまど倉、さらに奥に三つの頂を持った山が見える、それが一等三角点を持つ羽賀場山である。
昨夜の大雨は止んだものの、烈しい風は朝になっても吹き続けていた。以前より計画していた鴫内山へ登ろうと思って西那須野インターを降りたものの、目指す鴫内山はガスの中、どうやら雪が降っている様だ。さらに風は強く、単独で初めての残雪の鴫内山を登るにはちょっと心配な空模様だった。林道に入ると、強風で杉の大木が倒れて道を塞いで先へは進めなくなっていた。やはり無理すべきではない。後日を期して、第二候補と考えていた山、羽賀場山へと急遽進路を変えた。
この山にはかつて単独で10年前に、さらに妻と一緒には4年前との二回登っていたので、急に登る場合でも何の不安もない。その時のコースタイムが記録してなかったので気に掛かっていた山でもあったからだ。
隣の農家の犬に吠えられながら、山支度を整えて長安寺の駐車場を出発した。既に時計は10時半近くなっていた。杉林の中、送電線巡視路の登山道を登り続けた。
長安寺の裏山は孟宗竹が密生している。これも徐々に眼下に遠ざかると、やがて杉林から桧の植林へ変わり、尾根が近くなって、第一ポイントの鉄塔下に20分で到着した。
送電線を東へ辿ると、かまど倉へ至り、その肩に鉄塔が立っていた。
ここから再び杉林の尾根をさらに辿って行く。尾根は明瞭で、登山道は以前よりも多くの人が登っているらしく、しっかりと踏み固められていた。
さらに登って行くと、再度送電線の鉄塔が出現した。こちらの鉄塔は新しくそして高い。4年前に来た時は未だ立っていなかった。この送電線を南に辿ると、大芦川を挟んで鳴蟲山の肩へ達していた。この鳴蟲山へ登った時は大芦川より北側の尾根を辿って登り詰めたが、苦労してその頂へ立つと、すぐ南に紅白の高い鉄塔が立ち、南より立派な車道が山頂近くまで伸びていたのには、がっかりしたのがつい昨日の様に思い出された。
鉄塔より10分程で主稜線の肩に到達した。ここで道は左折して行く。下山時に北へ迷い込み易いポイントだったが、今は立ち木に羽賀場山頂と長安寺、それぞれの方向を示した標識が取り付いていて、迷う恐れはなくなった。
羽賀場山の頂上部は三つのコブの様なピークがあり、その中央に一等三角点標石が埋められている。多くのハイカーがここを訪れる様になった現在、道も標識もしっかりした分、シーズンには静かな山歩きもままならないだろう。
山頂手前のピークを過ぎると、北側に伐採地があり、白い高原山を遠景に、板荷の石尊山と小来川に沿った板荷の集落を見渡せた。例弊使街道の杉並木を辿って行くと、私の生家近く、今市市板橋の城山が小さく見え、石尊山の西に鶏鳴山も眺望出来た。
11時40分、真新しい標識の立つ羽賀場山の山頂に到着した。中央に一等三角点標石が埋められていた。残念ながら周囲の木々は大きくて、眺望は得られなかった。
前回来た時には、北方の桧は未だ背が低く、日光の山を見る事が出来た。今はその樹間より見えるだけで、シャッターを押す景色ではなくなってしまった。
念の為、次のピークへ行ってみたが、ここはさらに悪く、早々に引き返して、山頂での記念写真を撮っただけで、東の日当たりの良いピークへ移動し、パンとコーヒーの昼食を取った。故郷の山を眺めつつこれを味わうと、小学生時代に初めて登った時の城山での感激や、その頃から眺めていた石尊山、さらに小学校の校歌にも歌われている鶏鳴山を眺めると、つい幼馴染の友の顔さえ浮かんで来る。やはり「故郷の山はありがたきかな」である。
20分で山頂を下った。未だ時間は12時と早い。この際、隣に見えたかまど倉を再訪する事にして一気に下った。途中単独行と5人パーティが登って来て挨拶を交わしたが、全員60代と思える人達ばかりだが、元気そのものだった。
かまど倉はいつの日か、川化山への縦走をしたいと思っていたので、その下見をしよう。
林道を走り、送電線巡視路の分岐点、路肩へ駐車して、13時25分歩き出した。
この山へも過去一度登っていたが、その時の記憶はほとんどなくなっていた。
林道を終点まで登り詰め、杉の植林帯をつづら折りにのぼって行くと、25分後鉄塔下へ飛び出した。送電線を西に辿ると先程登って来た羽賀場山の肩が真近く見えた。
ここから左折して山頂へと登って行く。左右は大きな岩壁を持っていたが、桧の背丈も大きくなってしまって、迫力は余り感じなかった。
山頂部は南北に長いピークで、三角点は南に位置していた。山名標識も立てられた頂は樹木に囲まれて静かだった。やや南が開け、ここへ太陽の光が届いて暖かかった。
腰を降ろし、パンを一個食べ、大芦川沿いに行き来する車をのんびりと眺めていた。
帰路は東の展望台より、板荷の山と送電線の先の古賀志山を望み、シャッターを押した。
北の展望台より川化山への尾根を確認してから鉄塔下へ戻った。ここより藪の中に続く、川化山への縦走路の踏み跡を確認した。山麓の集落へ車を走らせると、ここでは丁度春のお祭りらしく、子供達が車に乗って、太鼓を叩き、集落を練り歩いていた。大人やおまわりさんがこれについて廻っていた。何か、遠い子供の頃の楽しい時代を思い起こさせる、板荷の祭り風景だった。

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